2000年4月2日、K氏、吉田明弘2名
コースタイム 5:30新潟発=道の駅三川でK氏と合流=7:20大谷沢橋着7:35発− 10:50 922mピーク着11:00発−11:55山頂着13:00発−15 :07 大谷沢橋着=御神楽おんせん「あすなろ荘」=道の駅三川でK氏と別れる =17:40新潟着 鍋倉山は川内山塊の外郭を成す山である。 日本平山に登った時や御神楽岳に登った時にその堂々たる容姿が見え、一度登りたい と思っていた。 ただかつては登山道が有ったようだが現在は廃道になっているようなので、残雪期に 登ろうと機会を狙っていた。 天気予報でこの日が丁度晴れるようなので急遽行くことにした。 早朝新潟市の自宅を出て一般道で登山口の上川村を目指して走っていたら、所属会の 会長のK氏より携帯電話に電話が有り、同行したいとの事、急遽道の駅三川で合流す ることにした。 なお、私は山行計画書を事前に会長宅にFAXで提出していた。 道の駅三川でK氏と合流、私の車で上川村の登山口を目指した。 登山ルートは大谷沢と南大谷沢の間の尾根を登ることにしていた。 常滑川沿いの道は将来ダム建設の予定があり道は高台に付け替えられていた。 登山口の大谷沢には大きな橋が架かっていた。 その橋のたもとに車をとめ歩き出した。天気は快晴だ。 橋のたもとから沢までは林道が伸びていた。その林道の適当な所から沢に向けて降り た。 沢沿いに用水路が流れていた。しかし、ほとんどが雪に埋まっていてへつりながら歩 いていった。 用水路沿いを上流に向かって歩き二つ目の堰堤の下で対岸に渡った。 K氏は大きなビニール袋を持って来ており、それに足を突っ込んで徒渉した。私も借 りようと思ったが浅い所を選んで渡れば大丈夫そうだったので登山靴のまま徒渉し た。靴の中までは水は入ってこなかった。 K氏は大谷沢沿いを溯って鍋倉山から東に伸びている尾根を登ろうと主張したが、沢 の水量は多いので濡れるのがいやな私は当初の予定通り目の前の尾根に取付いた。 尾根に取付くと雪が緩んでずぼずぼもぐるのでわかんを装着した。 324mの標高点があるピークで尾根は左に曲る、ぶなの林の大雪原の中を一旦緩く 下って登りはじめた。 新しい赤布の列が始まった。よく見るとトレースがある、数日前に誰かが歩いている よ うである。 赤布は頻繁に出てきた。正直付け過ぎだと思った。 急登が始まると荷が重く痙攣癖がある私のペースは落ち気味になる。K氏に先頭を変 わってもらいながらゆっくりと登っていった。 尾根の上は杉が一列に生えていた。雪はややしまっているもののわかんをつけた方が 安心だった。 標高650m付近で休んでいると後ろから長靴を履いた2人組が追いついてきた。 この2人組より先に我々は歩き出したが922mピークで休んでいる時に追い越され た。 標高が上がるにつれて素晴らしい景色が見えてきた。常に御神楽岳が堂々とした姿を 見せていた。 村界尾根に出ると日本平山が見え始めた。 1050mのピークを越して最後の登りを登ると山頂に着いた。 そこには素晴らしい展望が待っていた。 真っ白い飯豊連峰が印象的だ。そこから右に目を転じると磐梯山、すぐそばに御神楽 岳、狢ケ森山、日尊の倉山、粟ケ岳、白山、五剣谷岳をはじめとした川内山塊の 山々、すぐ隣には日本平山、そして、五頭連峰。素晴らしい展望だ。川内山塊の山々 は普段見慣れている姿とは全く別の姿をしていた。五剣谷岳は角度のせいか新潟平野 から見る長屋の屋根風に見えず鋭角に尖った山容をしていた。 山頂には我々二人と長靴の二人のほかに小瀬ガ沢より登ってきた単独行の計5人だっ た。 ゆっくり食事をして展望を楽しんだ後往路を下山した。 気温が上がってきたため雪はますます緩んでずぼずぼもぐりはじめた。 324mピークは北側を巻いて下った。 大谷沢の徒渉は朝よりも水量が増えていた為、靴の中まで浸水した。 K氏はベテランのためなのか荷が軽いせいなのか身軽に先をどんどん歩いていった。 鍋倉山は隠れた名山だと思った。
鍋倉山から望む飯豊連峰