爼倉山

2000年4月30日、単独

コースタイム
6:20新潟発=7:30登山口着7:43発−9:00お京平着9:05発−
9:50山頂着10:40発−11:50登山口着12:20発=14:00新潟着

今年のゴールデンウィークは後半に弟の結婚式のため上海へ行く、昨日は仕事だった
ので山に行けるのはこの日しかない、しかし、上海行きの準備をするのもこの日しか
なかったので半日で登ってこれる山ということで、爼倉山に登ることにした。
さわやかな青空の下を新発田へ向かって車を走らせた。
新発田市街を抜け、県道を津川方向に向かい、上赤谷より左折し廃村となった東赤谷
を通り過ぎ、林道を奥へ向かった。
琴沢の橋の手前のゲートの手前が登山口だ。まだここから先は通行止のようだ。
登山口には路肩に駐車スペースがあるが既に満車の状態だ、おそらく、山菜取りの人
たちだろう。
今年初めて軽登山靴を履いた。もう雪の上の歩きはそれほど多くないと思っていた。
(実際は半分以上雪上だったが)
ゲートの下りている枝分かれした林道に入り、すぐ登山者カードの設置してある登山口
に着く、真新しい登山者名簿にはまだ誰も記帳していなかった。私が今年最初の登山
者名簿記入者のようだ。
杉林の中の水路沿いの道を進む、途中でこの道と離れて右に折れる所がある、道標は
何も無く赤布がやたら付いているだけの所だ、間違いやすいので要注意だ。私は一昨
年初めてこの山に登った時そのまま進んで間違えた。
今回は2度目なので間違えずに登山道を進む。
琴沢の徒渉地点は水量が多く注意しながら渡った。
登山道沿いはカタクリなどの花が沢山咲いていた。
緩やかに登っていくうちに登山道を雪が埋めるようになってきた。
昨日のものだろうか薄く足跡が付いている、しかし、消えかかっていて分かりづらい。
要所要所にオレンジ布をつけたが、この登山道は尾根に上がらないので進む道が分か
りづらい。
広い雪原の道を進んで行き、岩の上に遭難碑のあるお京平で休憩した。
尾根も谷も無いような地形でどちらに進んで良いか分かりづらい。薄く残ったトレー
スを頼りに歩いていった。
雪の斜面をトラバースする所でトレースは消えていた。おそらく引き返したのだろ
う。
軽登山靴でのトラバースは思うように雪面を蹴り込めないので慎重に進んでいった。
稜線に上がるやや手前の尾根に取付いて登った。
山頂までわずかな所だが、斜面が急な所は雪が硬く、キックステップで足場を確保し
なければ進めない、今回は単独行なので先頭の交代要員もいない、重登山靴にすれば
よかったと後悔しても始まらない。一歩一歩登っていった。
山頂は雪で埋め尽くされていた。一昨年も同じ時期に登っているが薮の中だった、今
年はやはり雪が多いようだ。
山頂からはすぐ近くに蒜場山がそびえ、その左奥に白い飯豊連峰が望めた。赤津山か
ら焼峰の稜線もまだ真っ白だ。そして、右に目を転ずれば御神楽岳や川内の山々、菅
名連峰が見え、そして、裏から見る五頭連峰もまだ大量に雪が付いていた。
双耳峰の片方の天狗の庭に足を伸ばしてみた。こちらは雪が無く岩肌が露出してい
た。
振り返ってみる俎倉の山頂はまるでソフトクリームのようだ。
再び山頂に戻って景色を楽しんでいると、一人の登山者が登ってきた。
下山は目印が有るので安心だが、下山途中にも10人くらいの登山者とすれ違った。
目印につけたオレンジ布は彼らのために回収せずそのままにして来た。
雪はやや緩んで来て歩きやすくなってきた。
トレースもはっきりして来て私が歩いた後に道が出来たことを実感した。
正午前に下山したので登山口でラーメンを煮て食べた。
今年の越後の山は雪が多いので、まだ軽登山靴では歩きにくい所が多い時期なのかも
しれない。

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