弥彦山、多宝山

2000年10月8日、単独

コースタイム
10:50大駐車場発−11:05登山道入口通過−11:30五合目(鳥居)通過
−11:53九合目(多宝山分岐)通過−12:03弥彦山山頂(御神廟)着12:
25発−13:02多宝山着13:11発−13:35九合目通過−13:52五合
目通過−14:15登山道入口通過−14:25大駐車場着

弥彦山は越後平野と日本海を分ける屏風のように聳え、越後平野の何処からも見える
ことから、我々新潟に住むものにとってはなじみの深い山である。
越後一宮の弥彦神社がこの山に祭られているのもうなづける話である。
弥彦小学校の児童から弥彦山についてのメールをいただいた。
考えてみれば今まで弥彦山は登山の対象として見ておらず、3年前に登山を再開して
からは登ったことが無かった。
もちろん子供の頃は親に連れられて何度となく訪れてはいたが、その頃の事などかす
かな記憶しかない。
この日は朝のうち配達があったので朝から山に行くことが出来ないため、近くの低山
しか登れない日であった。
そして、弥彦小学校の児童からまたどんな質問が来るか分からず、取りあえず弥彦山
に登ってみることにした。
配達を終えて弥彦に着くと神社入口の駐車場は既にいっぱいだった。沢山の観光客や
参拝客が歩いていた。
車を止める場所を探して大駐車場へ行った。こちらも沢山の車が止めてあったが、何
とか止める場所があった。
秋晴れの日曜日、しかも連休。多くの観光客が弥彦に来ているようであった。
弥彦神社の境内を歩き出す。
案内図を見てもよく分からず別の出口から出てしまった。
出たところの駐車場の係の人に登山口を聞いて、また歩き出した。
地図を見ながら藪山を歩いているのと勝手が違う。
大半は観光客のようだが、神社で結婚式も行われているようであった。
ロープウェーへの道を分けると杉木立の中を緩やかに登って行く、やがて茶屋があっ
た。
この茶屋は子供の時親に連れられて弥彦登山をした時必ず休んだ茶屋だ。
今回は休まずに通り過ぎた。
登山道は多くの家族連れで賑わっていた。私も子供の頃、このようにして歩いていた
のだろうか。
ジグザグに登山道は登っていく。
四合目で尾根に出た。そこから五合目までは階段の道だ。小さい子供が階段の段差が
大きすぎて一段一段よじ登っている。
五合目には鳥居がある。急登も一段落ついたようだ。
六合目と七合目の間に里見の松と名づけられた大きな松があり、ベンチが設けられて
いた。
そこからは越後平野を一望できる。
以前弥彦小学校の児童からこの里見の松についてメールで質問を受けた。誰が名づけ
たのかという質問だったが、里が見えるから里見の松というのでしょうと答えてい
た。
小学校の児童は里見は人の名前だと思ったのかもしれない。
七合目に清水があった。一口飲んで喉を潤した。
九合目で稜線に出た。展望レストランが近くにある。ロープウェーやスカイラインで
登ってきたであろう人たちも沢山歩いていた。
弥彦山頂である御神廟を目指した。
いくつもの電波塔がありやがて山頂の御神廟についた。
御神廟は登ってきた方向に背を向けて建てられていた。
そこからは大展望が広がっていたが気温が上がっているためか遠くの山々は霞んで見
えた。
持ってきたラーメンを作り昼食を摂った後、弥彦山のもう一方のピーク、多宝山に向
けて歩き出した。
九合目まで来た道を戻り、ロープウェーの山頂駅前を通過した。途中のレストランの
売店で多宝山で飲もうと缶ビールを買った。
スカイラインを横切って小さなピークを越すとそれまで賑やかだった道が一気に静か
になった。
歩く人はかなり少ない。
再度スカイラインを横切り多宝山の登りが始まった。
緩やかな登り一息で一等三角点と気象レーダーのある多宝山に着いた。ここには私以
外2人組みのパーティーが3組休んでいるだけだった。弥彦山の喧騒がうそのよう
だ。
多宝山は3回目の訪問になる。
下山は上泉の集落へ降りる道が2万5千図にあったのでそちらを降りようと思った
が、道はなかったようだ。
仕方なく往路を下山した。
相変わらず沢山の登山者が歩いていた。やっぱり誰でも気軽に来れる山なのだ。
子供の頃を思い出して登山口近くの茶屋でところてんを食べた。子供の頃の味と変わ
らず旨かった。
再び神社の境内を通過して車に戻った。
弥彦小学校の児童からのメールのおかげで、いつもと違った登山を味わったような気
がする。

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