守門岳(途中撤退)

2001年3月11日、豊栄山岳会月例山行、メンバー11名

コースタイム
6:18新潟市鳥屋野潟公園発=8:36大原スキー場駐車場着9:00発(リフ
ト)9:20リフト終点着9:30発−10:20 820m付近尾根分岐着10:
30発−12:10藤平山分岐手前着(雪洞掘る)14:05発−14:15藤平山
分岐着14:20発−14:30雪洞着14:35発−16:18リフト終点通過−
16:27大原スキー場駐車場着=寿和温泉=20:15新潟市鳥屋野潟公園着

守門岳は越後の名山である。越後平野より見上げると、その堂々とした山容はまこと
に立派だ。
3月の豊栄山岳会の月例山行は守門岳で行われることとなった。

豊栄のメンバーと鳥屋野潟公園で合流して2台の車に分乗して出発した。
天気予報は曇り時々雪の予報が出ていたが、新潟市内は雲の切れ間から青空が覗ける
天候だ。
高速で小出まで移動し、登山口の入広瀬村の関越国際大原スキー場を目指した。
入広瀬村へ向かう国道を走っているうちに雪が降り始めた。

大原スキー場は閑散としていた。日曜日にこれだけの人出でやっていけるのだろう
か。要らぬ心配をしたくなるようなゲレンデの状況だ。
とりあえず、スキー場のリフトを利用して、リフト終点まで上がることにした。
11名のメンバーのうち3名は山スキーの履き、その他はわかん歩行の予定だ。
スキー場下部は雪が降っているものの微風しか吹いていなかったが、登につれて少し
風が出てきた。
リフト終点でわかんを付けて、ぶな林の中に入っていった。
先頭はスキー隊、その後にわかんのメンバーが続いた。
地形図ではリフトの終点は650mピークの下のように書かれているが、実際はピー
クの上が終点だ。そのままその尾根を進んでいった。
雪は相変わらずしんしんと降り積もっている。所々にリボンや旗を立てながら進んで
いった。
新雪の下に硬い雪の層があり、先行するスキー隊のトレースもあることからそれほど
潜らない。
登につれて風が強く吹き始めた。しかし、視界は良好で、谷を挟んだ反対側の尾根が
見えるくらいだ。
上り坂のところでは膝から腿くらいのラッセルになった。
標高820mくらいのところで左から尾根が合わさる。その手前の風の弱いところで
小休止を入れた。
相変わらず強風の中の登りが続いた。
上りが急になり始めるところで、スキーで先行する大桃氏から後続のわかん隊に樹林
帯の中を進めと指示が出るが、わかん隊先頭の本間氏はスキーのトレースを追って木
の無い所を進んでいった。私も後ろから雪崩の危険があるから樹林帯に入るよう声を
かけたが、どうも声が届いていないようだ。
そのうちに大桃氏の足元の雪がわれ、小規模な雪崩が発生。我々の足元をかすめる程
度のものだったが、その後はスキー隊以外は樹林帯の中を進んだ。
ところが、スキーで一番後にいたはずの小林氏がいない、ひょっとして雪崩に巻き込
まれたかと、心配したがやがて後ろを登ってきた。どうやらスキーをはずしたよう
だ。一声声をかければいいものを要らぬ心配をしてしまった。
リーダーの常木氏よりタイムリミット12時の指示が出た。この日は雪洞堀の訓練もし
なければならない。
藤平山の分岐のやや手前で進行を停止した。

その場で雪洞堀りをはじめた。スコップで奥に掘り進み、後ろに雪のブロックを積ん
で、上にフライシートをかぶせた簡単な雪洞だ。
私はリーダーの許しを得て、ある程度作業した後、稜線まで登ることにした。
私の前に大桃氏がスキーで上がっていたが、少し進むと腰までのラッセルとなった。
稜線の雪庇の少し手前で一人の力ではなかなか進まないので引き返すことにした。
この頃には風は止んでいた。

雪洞の中は暖かい、フライの隙間やブロックの隙間から風が入ってくるが、外とは別
天地だ。
お昼を食べてゆっくりした後、全員で稜線まで上がることにした。
私のトレースがあるため先頭も楽だったようだ。
トレースの終点から少しのラッセルで稜線に着いた。雪庇が一部無いところがありそ
こから稜線に上がった。
記念写真を撮って下山開始。
下りは速い。そして、風も止んでいたので寒さも無い。
トレースはほとんど無くなっているものの、下りのラッセルは登りに比べれば断然楽
だ。
650mピークからはスキー場の中の下りである。閉場時間が迫っているためか場内
には「蛍の光」が流れていた。
スキーヤーの邪魔にならないよう、隅の方を歩いた。
下山後、寿和温泉にて体を温めて帰路についた。
3月中旬といえども、越後の山の春はまだのようである。

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