矢筈岳(途中撤退)

2001年4月14日、豊栄山岳会月例山行、メンバー6名

コースタイム
5:53笠堀ダム発−(7:00〜7:30朝食)−9:53光来出川渡渉地点着
(渡渉できず、昼食)11:45発−14:50笠堀ダム着

矢筈岳は川内山塊第2の標高であるが、その位置からして川内山塊の盟主といっても
いいだろう。
ただし、整備された登山道などなく、残雪期に限られたパーティーのみ登頂を許され
た秘峰でもある。
わが豊栄山岳会は毎年4月に残雪の川内山塊に訪れている。
今年はこの川内山塊の盟主矢筈岳に挑戦することとなった。

前日のうちに入山口の笠堀ダムに入り、ダムサイトで幕営していた。
歩く距離が長いので早朝4時半に起床し、途中にて簡単に朝食を摂ることになった
が、結局出発したのは6時近くになっていた。
ダム湖の奥に目指す矢筈岳がその勇姿を見せていた。空は快晴である。
メンバー6名、ダムを対岸に渡り湖畔の遊歩道を歩き始めた。
遊歩道らしからぬ岩場が現れ、またデブリなどもあり、途中でストックをしまい、
ピッケルに持ち替えた。
重荷と、思った以上の足場の悪さから、ペースは予想以上にゆっくりとしたものに
なった。
遊歩道の脇にはカタクリ、イワウチワなど越後の山に春を告げる花々が咲き、目を和
ませてくれた。
4時間近くかかって光来出川(笠堀川本流)の渡渉地点に差し掛かった。
我々は沢には雪が詰まっていてスノーブリッジを使って渡れるものだと思っていた。
しかし、目の前に現れた川は、両岸の絶壁いっぱいに流れる水量の多い川だった。
昨年6月に下見をしたリーダーのS氏に従って渡渉地点に行ってみた。
その部分も川幅いっぱいに水が流れ、対岸に絶壁を登る唯一の階段の途中は雪で覆わ
れていた。
会の副会長H氏が裸足になってザイルで確保のもと空身で渡渉を試みた。
水は腰まで洗い、50mのザイルを目一杯使って対岸にたどり着いた。
しかし、階段は使えず木の生えていない絶壁の登りを試みて、再び戻ってきた。
彼の報告によると絶壁は重荷を背負って登るのは危険とのことだった。
我々はこの渡渉地点まで2時間くらいで来るつもりが4時間近く費やしている。その
上、一人一人ザイルで確保しながらの渡渉では渡渉に相当な時間がかかる上、そこか
ら尾根までの道は危険極まりない。その上、尾根に出れば薮こぎが待っている。
リーダーのS氏が撤退を決意した。
私は残念だったが、サブリーダーとしてリーダーの決定を支持した。
一気に体の力が抜けた。
渡渉地点手前のぶなの高台で早めの昼食を摂ってゆっくりした。
矢筈岳は遠い山になった。
それから笠堀ダムまで戻り、反対側の上川村の室谷まで迎えにきてくれる予定だった
サポート隊に連絡を取り、翌日は別の山に登ることになった。
今回の敗退で矢筈岳への思いは益々深くなった。

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