光明山

2001年5月13日、単独

コースタイム
4:50新潟市発=6:28登山口駐車場着6:40発−6:45登山口通過−8:
35万之助山(前光明)着8:47発−9:20中光明着9:27発−9:55光明
山山頂(奥光明)着10:32発−10:53中光明着10:58発−11:30万
之助山通過−12:57登山口通過−13:03駐車場着=15:00新潟市着

光明山は越後平野から眺めると、守門岳と粟ケ岳という特徴ある山に挟まれて、これ
と言って特徴のある峰を持たない山なので、見落とし勝ちである。
しかし、登山道のある山の少ない川内下田山塊の中で、しっかりした登山道が有り、
越後の山のガイドブックには必ず登場する山なので、一度行ってみたい山であった。

早朝新潟市の自宅を出発し、登山口の笠堀ダムを目指した。
天気は快晴で全く雲が無い、その上、春霞も薄く、越後の山々ははっきりと見ること
ができる。今日は山頂からの展望は期待できそうだ。

笠堀ダムの駐車場には登山者はダムサイトの駐車場に車を止めず、下の駐車場を利用
するようにとの看板があったので、ダム下方の駐車場に車を止めた。
今シーズン初めて軽登山靴での登山だ。はじめから半袖のティーシャツで歩き出す。
前の週まで雪を追い求めて山を歩いていたが、いつのまにか初夏のシーズンに入った
ようだ。
5分ほどで登山口を通過した。
登山道はぶなが主体の雑木林の中を緩やかに登っていった。
林の中には小鳥の声が響き渡り、新緑の木の葉の間からこぼれる日の光が気持ちい
い。
きつつきが木を突つく音が聞こえた。どうやら登山道脇の楢の木のようだ。見上げる
と私の気配を感じたのか何処かへ飛び立っていった。
一合目に小川が流れている。付近はかえるの大合唱だ。とてもすばらしいハーモニー
だ。小鳥の声と混ざり合って森のコンサートといった感じだ。
しかし、木の枝から垂れ下がる青虫には閉口した。ストックで払いのけながら進ん
だ。
七曲峠で展望が開けた。粟ケ岳が雄々しい姿を見せていた。
炭焼き場跡の標識のところに清水が湧いていた。冷たくておいしい、やっぱり山で飲
む水は清水がいい、雪解け水はおいしくない。
ガバ井戸という小池の脇に水芭蕉が二株花をつけていた。池の中には山椒魚の卵が白
く光っていた。
所々残雪を横断するところが有る。しかし、トレースも付いているので安心して通過
できる。帰路確保用の赤布も要らないだろう。
万之助の風吹き場で尾根に出た。今まで見えなかった白い雪をまとった守門岳が姿を
現した。
それにしても展望のいい尾根道だ。粟ケ岳、青里岳、矢筈岳、守門岳と名山を眺めな
がらの歩きは気持ちがいい。
万之助山のピークは南側を巻いて行き、その先の稜線で左に少し入ってピークの上に
出た。
万之助山からの展望はすばらしい。
守門岳の左には浅草岳が見え、その左には南会津の山(山名が特定できない)がうっ
すらと見えていた。
ここで初めて腰を下ろした。付近はアブやブヨがぶんぶん飛んでいるので虫除けスプ
レーを体に吹き付けた。虫除けスプレーが登場するもの、今シーズン初めてだ。もう
夏山シーズンだということをこの事からも感じられる。
万之助山を過ぎると道は北側のトラパースを主体に進んでいくが、大量に雪が付いて
いて、歩きにくい場所が数箇所有った。またトレースも一人の人の足跡しかなく、
その足跡も長靴のものであろうか、雪面をカットしながら進んでいるものでなかった
ため利用価値が無かった。
私は軽登山靴であるが、足場を作りながら進む必要が有った。ピッケルが無いので確
保が不安な上、柔らかい軽登山靴ではキックもままならない。しかし、稜線上は薮で
歩く気にはなれない。ずっと雪ならあきらめて稜線に出るのだが、雪の付いたところ
はほんの数箇所、トラバースした方が効率的だ。
岩場を登ると中光明だ。
中光明のピークも巻いて行き、その先に小さいぶな林があったので、日陰を求めてそ
こで休憩した。
そこからまもなく光明山の山頂(奥光明)に着いた。道はまだ奥まで続いているよう
だった。おそらくすぐに薮になるのだろう。
雲一つ無い空の下すばらしい展望だ。
粟ケ岳、青里岳、矢筈岳、毛無山、中の又山などの川内山塊の山々。烏帽子岳と守門
岳、その左後ろに浅草岳。そして、越後平野と弥彦山、角田山、その背後には青い日
本海。
大展望だ。ひとり、展望に酔いしれた。
食事をした後、下山の途についた。
雪面のトラバースも私の足場が有るので歩きやすい。後から数名の登山者が登ってき
た。
気温がぐんぐん上がり、日向では立ち止まりたくない。中光明のぶな林で靴紐を結び
直した後、万之助は通過し、炭焼き場跡の清水までノンストップで行った。その後、
一気に登山口まで降りた。
越後の山の季節も初夏に移っていったことを実感した山行となった。

光明山はガイドブックによっては中越の山になっていますが、五十嵐川北方の山で、川内下田山塊に属することから、下越の山として扱いました。

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