日本国

2001年7月1日、単独

コースタイム
5:00新潟市発=7:30 小俣小学校前登山口着7:35発−7:55松ケ峰広
場通過−8:15蛇逃(じゃのげ)峠通過−8:25日本国山頂着8:40発−8:
48蛇逃峠通過−9:05松ケ峰広場通過−9:20小俣小学校前登山口着=奥胎内
に寄り道=13:30新潟市着

新潟、山形県境にある「日本国」
山名に「山」も「岳」もつかない。
山名の由来は諸説あるが、みな歴史のロマンあふれる言い伝えだ。
それよりも、日本の中央から大きく離れたこの地の、平凡な低山にこのような名前が
ついたことがおもしろい。

この日はかねてから飯豊に行くつもりだったが、前日夜の荒天で気が変り、日本国に
行くことにした。
日本海岸沿を北上し山形県境の町の山北町の府屋より、大川沿いの道を奥へ入った。
新潟市を出るときは青空が覗かれる天気だったが、北上するにつれて雨が降り出し
た。
大川には沢山の鮎釣の人たちが川に入っていた。
こんな雨の日に釣をするなんて物好きだと思ってしまうが、私自身雨の中、山に登ろ
うとするのだから、物好きなのは同じ事だ。
小俣小学校の駐車場に車を止めて、登山口の標識に従って歩き出した。
最初から雨具を着ての登山になった。
急な斜面をジグザグに登っていく、時折枝道が分かれるが、それもすぐに合流する。
ラジウム清水で喉を潤したが、雨の味がしておいしくなかった。
尾根に上がって少しで松ケ峰広場というベンチのある広場を通過した。
周囲は広葉樹林で松は見当たらない。
沖見展望台という所を通過したが、雨の為展望は得られなかった。
蛇逃(じゃのげ)峠で蔵王堂経由の道と合流した。そこには東屋があった。
全く休憩せずに登っていった。
樹林はいつのまにかブナが主体の林になっていた。
風雨ともに強かったが、樹林帯の中は気にならない。
やがて、山頂に着いた。
山頂にある展望台に登って、周囲に人がいないのを確認して
「日本国征服万歳」と叫んで両手を挙げた。
気分は最高である。標高は555mやる気万々の私にはゴーゴーゴーといい語呂の高
さだ。
しかし、雨の中なので休憩小屋に入った。
少し休んだ後、下山を開始した。
夢の日本国征服からわずか40分で現実の世界に戻ってきてしまった。
時間が早かったので、奥胎内へ行ったら、飯豊からちょうど下山してきたO氏一行に
会った。
飯豊の稜線は相当雨風が強かったそうである。

それにしても「日本国征服」、山登りが趣味でなければ成し遂げられない偉業であ
る。

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