立烏帽子、葡萄鼻山

2001年11月4日、単独

コースタイム
6:10新潟市発=7:55林道ゲート前着8:00発−8:48梁山泊着8:52
発−9:18立烏帽子着9:33発−9:52分岐点通過−10:05葡萄鼻山着1
0:13発−10:25分岐点通過−10:46梁山泊着10:51発−11:25
林道ゲート前着=桂の関温泉ゆーむ=14:15新潟市着

立烏帽子と葡萄鼻山は、関川村の大石ダムの東方に位置し、私の認識では最近までは
藪山という認識であった。しかし、今年発売された「新・新潟ファミリー登山」に立
烏帽子が掲載されており、また、同じく今年発売された「越後百山」にも、葡萄鼻山
を登山道の無い山として扱っていなかった。もちろん踏み跡が有るという事は情報と
して得ていたが、一度行ってみなければと思い、出かける事にした。

朝自宅を出るときは雨が降っていた。天気図は冬型の気圧配置、この秋一番の寒気が
南下しているとの事なので、高い山は雪が降っている事だろう。
登山口は大石ダムの奥のゲートのある林道である。
付近の路肩に車を止めて、林道を歩き出した。この頃既に雨は上がっていた。
20分ほどで砂利の敷き詰められた林道は終わり、幅の広いかつて林道だったと思わ
せる道が10分ほど続いた。
その後、杉の植林帯に入っていき、その後杉林の中の道に変わった。道は整備が行き
届いていて、岩や木の根を跨ぐ所も無く、歩きやすい道だった。
やがて、梁山泊という山小屋についた。この山小屋は峡彩山岳会によって作られ、現
在は関川村が管理しているという。
「泊」という字が「伯」であれば中国古代の人物の名であるが、「泊」という字をあ
てると中国の故事にちなんで「豪傑を気取る者の集まる場所」という意味がある。こ
れは辞書で調べた。(名づけた人がどのような思いで名づけたかは分からぬ。)
この小屋も山好きな人々が集まる所らしい事は伝え聞いている。ぴったりな名だと
思った。
小屋の前から立烏帽子の岩壁を仰ぎ見る。
どのように登るのかと心配になるほどの岩壁だ。
小屋から少し進むと急登が始まった。岩場はなく土の道が続いた。ただし、木に捕
まったり、ロープを頼ったりの急な道だ。
山頂の二つのピークの間に突き上げた。左に折れてすぐで山頂に出た。
低山に似合わず大展望が広がった。岩船の山々が手に取るように見える。しかし、飯
豊山は雲に隠れていた。
遠く朝日連峰が見えるが、雪で白くなっていた。間近の大境山も上部は雲に隠れてい
たが、雲の下の部分が雪で白くなっていた。
昨夜から降った雪であろう。
写真を撮って、この先の濡れた藪こぎに備えて、雨具を着た。
稜線を葡萄鼻山に向った。
踏み跡は明瞭だが、常に木の小枝が体にあたっている。しかし、落葉樹の葉は既に落
ちているので、視界は良好だ。
鞍部から登り返した所に、下山路の分岐点が有る。色褪せた赤布が目印に付いていた
が、見落とすと悪いので、持参した色鮮やかなオレンジ布を目印に付けた。
そこから先は要所要所に目印のテープが有った。
笹薮を通り抜けると、三角点のある葡萄鼻山に着いた。
周囲の展望は木に邪魔されてあまり良くはない。踏み跡はまだ先まで続いている。地
形図を見ると隣のピークの方が高いので、そこまで行っているのだろう。
着いた途端あられが降り始めた。この天気の中、隣のピークまで行く気はない。お茶
を飲んで下山に取り掛かった。
分岐点のオレンジ布を回収し、踏み跡にしたがって緩やかな尾根道を下っていった。
下り始めて奇麗なブナ林に入っていった。ブナ林は薮が薄くて歩きやすい。
そして、いきなり立派な道に出た。これまでは道というより踏み跡程度の道だった
が、今度はしっかりした道だ。この道は何処へ続いているのか気になる所だが、梁山
泊に向って下っていった。
杉林に変わると、梁山泊に着いた。
賑やかなパーティーが休んでいた。
私は雨具を脱いで、言葉を交わして下っていった。彼らはこれから立烏帽子に登るら
しい。
あとは歩きやすい道だ。
車に戻り走り出すと、大石ダムは多くの観光客で賑わっていた。最後の紅葉狩りの観
光客だろう。
多くの木は葉を落としているが、まだ色鮮やかに色づいた木々が山に彩りを添えてい
た。

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