矢筈岳

駒形山、魚止山


2002年4月13日〜14日、豊栄山岳会月例山行、7名

コースタイム
4/13
4:30新潟市発=5:15安田IC着5:40発=(磐越道)=津川IC=7:00倉谷林道終点着7:25発-10:25魚止山通過-10:45 1120mピーク着11:35発-12:48三川分水峰着13:15発-15:05駒形山(最高点)着15:25発-16:57三川分水峰着(幕営)
4/14
6:25三川分水峰発-8:25前矢筈岳着8:33発-9:07矢筈岳着9:40発-10:18前矢筈岳通過-11:45三川分水峰着13:18発-14:55 1120mピーク着15:13発-15:18魚止山通過-16:45林道終点着=御神楽温泉「みかぐら荘」=安田IC=20:00新潟市着


矢筈岳は道の無い山を登るようになってから憧れの山だった。
川内山塊の奥山で早出川の源頭に聳え、川内山塊では標高は粟ケ岳に次ぐ第2位であるが、盟主とされている山だからだ。
そして、その険しい山容から限られた岳人のみが登頂を許された山なのである。

<4/13>
安田ICの駐車場で豊栄から来るメンバーと合流し、少しでも早く行動したいことから、高速を使って津川まで行った。49号線を常滑川の橋を渡ったところで右折、登山口の室谷を目指した。
5日前に登山口を下見していた。その時は、室谷集落の奥のかやぶきの里の奥1.2km地点で雪のため車は入ることができなかった。その先は数多くのデブリが林道を覆っていて、その間は歩かねばならないと思っていた。
しかし、運がいいことに林道は除雪されていた。倉谷沢出合付近で県境を越す峰越林道から倉谷林道に入る。なんと林道終点まで車で入ることができた。
地形図では魚止山と太郎山の間を流れる沢で大きくカーブし、その先まで林道が続いているが、実際はその沢の屈曲点よりやや入ったところで林道は終わっていた。
2時間の林道歩きを予定していただけに、ラッキーである。
天気は快晴、太郎山の隣のピークが青空に輝いていた。
入山口には車が一台止まっていて、4人の登山者がテントを張っていた。後で山中で会った時に分かったことだが、この4名は東京のカモシカスポーツの店長とスタッフ、そして、「関越道の山」の著者打田えい一氏だった。

広場になっている林道終点の奥の右斜面から入っていった。明確な道がある。支援隊のリーダーの小林会長は何年か前の秋に魚止山に登っていて、その時に夏道があることを確認していたのだ。その小林会長を先頭に歩いていった。
急な斜面を登っていって尾根に出て、道はその尾根の上に付いている。
標高が上がるにつれて雪が登山道を覆い始めた。
登るにつれて視界が広がり始めた、とりわけ白く輝く御神楽岳や奥に聳える真っ白い飯豊連峰の姿が印象的だ。
魚止山に出ると、今回目標の矢筈岳が姿を現した。間近に見るその姿は迫力がある。
まだ時間が早いので、支援隊ともども隣の1120mピークまで行ってそこで昼食を撮る事になった。
1120mピークから見る展望は雄大だった。
矢筈岳の勇姿は東面にガンガラシ鼻の岩壁を従えてすごい迫力で我々に迫っていた。そして、粟ケ岳や青里岳、五剣谷岳などの川内山塊核心部の山。目を左に転ずれば、もうひとつの目標の山、駒形山。その背後に守門岳、浅草岳、遠くは越後三山や燧ケ岳、会津丸山岳も見えた。そして、御神楽岳。白く輝く飯豊連峰。素晴らしい展望だ。
昼食後支援隊より夜用の食材の差し入れをもらい、別れて三川分水峰へ続く稜線に入った。
稜線上は大半の雪が落ちていて藪の中の歩きとなった。しかし、はっきりした踏み跡があり、藪こぎとしては歩きやすいほうだった。
三川分水峰に着くと、土が出ている部分があり、そこには焚き火の跡があった。平らでテント一張り張るにはちょうどいいスペースだった。
リーダーの本田さんは時間が早かったので、この日のうちに矢筈岳に行ってしまおうと考えていた。しかし、メンバーの品田さんが疲れたから矢筈岳は行かないという。矢筈岳へは全員で登頂したい、よって矢筈岳は当初の予定通り翌日アタックということになり、駒形山をこの日のうちに行って来る事になった。
当初の予定では、駒形山から倉谷山経由で下山の予定だったが、駒形山をこの日のうちに登ってしまえば、翌日は矢筈を往復して、往路下山という余裕のある行程を取ることができる。ばて気味の品田さんも、無理なようなら途中で引き返しても、駒形山ならそう惜しくは無いだろう。
テント二針持ってきたうちの2人用テントを張り、そこに不要な荷物をデポして歩き始めた。
駒形山までの行程は、残雪半分、藪半分といった感じだった。藪の部分は全く踏み跡がない。天気も崩れ始め、薄暗くなってきた。そして、時折小雨が降り始めた。
地形図で見ると駒形山の山頂は稜線からはずれた1071m峰にある。当初そこまで行こうかと話していたが、最高点の1096m地点に着いた時は午後3時を回っていた。最高点を山頂とするならば、ここでいいということになり、引き返した。
駒形山に着いた時はちょうど天気が回復し、虹を見ることができた。おそらく年間何人も訪れることの無い山だろう。それがこの日は7人も登って来たのである。きっと山の神様が歓迎してくれたのだろうと話した。
三川分水峰に戻り、テントを張った。
7人なので6人用テントと2人用テントを張って分かれて寝るつもりだったが、テント一張り分のスペースしかないので、2人用テントに荷物を入れて、6人用テントに7人で寝ることになった。
夜は本隊の食料担当の小見寺さんが用意した食材の他にも、支援隊からいただいた食材や酒もあり、とても予定通りに胃袋に納めることはできなかった。
明日の矢筈岳を夢見て、寝袋にもぐりこんだ。

魚止山より見た矢筈岳 駒形山より見た矢筈岳


<4/14>
夜半まで強い風が吹き時折雨が降っていた。三川分水峰の我々のテント場は風をちょうど避ける場所にあり、テントを時折揺らす程度で大したことは無かった。
夜が明けるとあたりガスに包まれていた。特に矢筈に向かう稜線はガスで何も見えない状態だった。
早めの食事を済ませていよいよ矢筈岳に向かって歩き出した。
所々藪道だったが、大体は雪の上を歩くことができた。藪のところも明瞭な踏み跡があり、鉈目もあった。歩くにつれてガスが晴れ始め、ルートファインディングも楽になってきた。
1049mピークの西の最低鞍部は青白い岩の広い岩尾根になっていた。五十嵐川はかつて砥石の産地だった。おそらく、砥石の材料になる岩なのだろう。
屈曲点にある1051mピークとその手前のピークは早出川側をトラバースしていった。日陰のためか雪が硬い部分があり、トラバースの途中でアイゼンを装着した。
その先の鞍部を過ぎ、いよいよ前矢筈の登りに差し掛かったとき、矢筈岳を覆っていたガスが晴れた。屏風のように立ちはだかる山容は川内の盟主の名にふさわしいものだ。
前矢筈の登りは急だった。私が常にトップでゆっくりと一定のリズムで斜登行で登っていった。
そして、矢筈岳の双耳峰の一方である前矢筈に立った。大展望が広がった。稜線を渡るそよ風が気持ちいい。
あとは緩やかな稜線を西に進めば、憧れの矢筈岳山頂である。途中でアイゼンをはずし、景色を堪能しながら矢筈岳に向かった。
そして、ついに立った。憧れの山頂だ。
山頂には真新しい「矢筈岳」と書かれた標柱があった。メンバー全員で握手を交わし、持ってきたビールやウイスキーで乾杯し、記念写真を撮った。
360度の大展望が広がった。
川内最高峰粟ケ岳や青里岳、五剣谷岳は間近に見える。その奥には日本平山と鍋倉山、遠くには白く輝く飯豊連峰。右に目を転ずれば御神楽岳、日尊の倉山、狢が森山といった会越国境の山々。そして、昨日登った駒形山、それから、毛無山、光明山、中の又山。その奥に白い絶壁をあらわにしている守門岳、優しい稜線の浅草岳。川内の盟主にふさわしい大展望だ。
日差しは暖かで、風も微風で寒くない。いつまでもそこにいたかった。
後ろ髪を引かれる思いで山頂を後にした。
前矢筈へ行く稜線の途中で登山口であった4人パーティーとすれ違った。きっと彼らも至福のひと時を山頂で迎えたに違いない。前矢筈手前で一人の単独行くとすれ違った。みると会の大桃さんだ。ショートスキーで登ってきたようだ。聞くと登山口を6時半に出ているという。ということは3時間半くらいで矢筈岳に登ることになる、いやはや超人だ。
三川分水峰に戻って昼食とした。大桃さんも合流した。
そして、再び重荷を担いでの歩行になる。無線で魚止山の隣の1120mピークまで収容サポート隊が来ている事が確認されている。
ゆっくりゆっくりと痩せ尾根の藪をこぎながら、サポート隊が持ってきているであろうビールを目当てに進んでいった。
1120mピークで収容隊4名と再会した。彼らは3時間も我々を待っていたようだ。冷えたビールでのどを潤せば気分は最高だ。
魚止山からは下りになる。矢筈岳を振り返り、心の中で別れを告げた。
下山は尾根がはっきりしないところがあり、先頭はとっとと歩くので何度か道を間違えた。それでも無事に林道まで降りてくることができた。
帰りにみかぐら荘で汗を流し、安田ICで解散となった。
憧れつづけてきた矢筈岳。その山頂に立つことができ、また駒形山も行くことができて、充実した山行だった。

ガンガラシ鼻の岩壁 前矢筈より矢筈山頂を望む 矢筈岳より見た粟ケ岳
青里岳(左)と五剣谷岳 守門岳(右奥)と浅草岳(左端奥) 山頂には立派な標柱があった


新潟県下越の山の目次へ戻る

ホームへ戻る

inserted by FC2 system