二王子岳〜赤津山〜門内岳

二本木山、枡取倉山、ヤンゲン峰、藤十郎山、二ツ峰、北股岳


2002年5月3日〜5月5日、豊栄山岳会春山合宿
CL 吉田、SL 本田、外山、島、中野、中澤


飯豊連峰の主脈から派生している数々の尾根が、この山塊をより一層奥深いものにしている。その一つ、門内岳から派生して二王子岳に達する稜線は、胎内川と加治川の分水嶺をなし、大きくカーブしながら西へ伸びている。
今年度の豊栄山岳会の春山合宿は、この稜線を進んで門内岳に達する計画で組まれていた。そして、私が担当(当初の予定ではサブリーダー)として実施されることになっていた。
3月の例会の時、今年は小雪なのでコースを変更してはどうかと持ち出したら、丸山前会長より「藪をこいでも行くものだ」と言われ、さらに、リーダーの予定になっていた品田さんからも「変更はしたくない」と言われたので、ルート変更せずそのまま実施されることになった。
しかし、その後、品田さんからリーダーを譲られ、結局私がリーダーとして山行を指揮することになった。
大きい荷物を担いでの藪こぎはなかなか前に進まないことを過去の経験から分かっている。それに、山行中の天気が3日間良いとは限らない、厳しい山行になることが予想された。


5/3
コースタイム
4:09豊栄中央公民館発=5:30二王子神社発-6:40一王子着6:45発-7:30定高山(独標)着7:40発-9:25奥の院-9:53二本木山着10:15発-11:55長はな着(昼食)12:35発-13:05雷岳着13:20発-14:13枡取倉山着14:25発-16:45 1150m峰着(幕営)

早朝4時、豊栄中央公民館に本隊6名と小林会長率いる支援隊7名が集合し、登山口の二王子神社を目指した。
伊藤さんが会社のバスを借りてくれて、本隊はそのバスに乗ってゆうゆうと二王子神社まで来ることが出来た。伊藤さんはこの日仕事のため二王子神社まで我々を送ってそこで別れた。仕事の日なのにご苦労なことである。
支援隊は日帰りで二本木まで送ってくれることになっている。彼らの申し出に甘えて食料を担ぎ上げてもらうことになった。ありがたいことである。
支援隊の品田さんが先頭になって歩き始めた。重たい荷物をもつ本隊に合わせてのゆっくりしたペースだ。
一週間前に下見をした時は一王子から上はほぼ雪の上の歩きだったが、独標付近も完全に土が出ていて雪解けの速さを感じさせられた。
独標を過ぎるとほぼ雪の上の歩きとなった。
八合目付近で休憩していると、服部さんが登ってきた。彼は準備会に出席できなくて今回の合宿に参加表明をしていなかったが、急遽5/4〜5/5の収容第一班の方に参加するという。
二王子岳は山頂を踏まずに奥の院から二本木山に向かうことにした。服部さんは山頂を往復してすぐに下山し、山の準備をするという。奥の院付近の雪原の上で記念写真を撮って服部さんと別れた。
この日は快晴で飯豊連峰の絶景を見ながら二本木山に向かった。
二本木山山頂は藪に囲まれて景色が見えないことから、手前で雪の上に出て、山頂近くの雪原にザックを下ろした。
これから向かう稜線を眺め、雪がどのように付いているか頭の中に叩き込む。長はなからヤンゲン峰の間はほぼ藪こぎを強いられるだろう。計画ではヤンゲン峰にて幕営の予定になっていたが、早出した為時間に余裕があり、この時点では楽勝でヤンゲン峰にたどり着けると思っていた。
ここで、支援隊から担ぎ上げてもらった食料を受け取り、本隊6名だけになって縦走路に足を踏み入れた。


二本木山からの下りは雪の上の歩きで快適に下れた。
鞍部が近くなると稜線に藪が出始めた。藪を避けて山腹の雪を利用して進もうということになり、サブリーダーの本田さんからアイゼン着用の指示が出た。
私は雪がゆるいのでアイゼンを付けるのが面倒だったが、新人の中澤さんもいることだし、アイゼンをつけて安全に歩いた方がいいと考え、同意してアイゼンを着けた。
アイゼンをつけて歩き始めると、島さんのアイゼンがはずれた。本田さんに見てもらって、再度装着したが、またはずれた。島さんにはアイゼンをはずしたまま歩いてもらい、昼食時に付け方の練習をしてもらうことにした。
アイゼンは種類によって装着方法が異なり、また、靴のサイズにも合わせなくてはいけないので、事前に装着の確認をしておかなければならない、それを怠った島さんのミスだった。
長ばなの鞍部から少し上がった雪の上で昼食とした。これからは藪こぎが多くなるので、アイゼンをずしたが、島さんにはアイゼンの装着の練習をしてもらった。たまたま中澤さんのアイゼンと同じ種類だったので、彼女からのアドバイスで何とか付けられるようになった。
12時の定時交信を支援隊とした。彼らはまだ二本木山にいるという。天気もいいので飯豊の絶景を見ながらのビールはさぞうまいことだろう。
そこからは本格的な藪こぎになった。
ところどころ古い鉈目があるが、歩く助けにはならない。大きなザックが枝にあたり思うように前に進まない。登りでは枝を押しのけながら、手がかりにする枝をつかみ、わずかな隙間を見て体を前に進ませる。
長ばなから目の前の雷岳まで30分を要し、そこから枡取倉山まで1時間を要した。
枡取倉山から先は更に速度が落ちた。
藪こぎが初めての中野さんや新人の中澤さんは手こずっていた。しかし、後ろからはどのような常態か見ることが出来ないので、中澤さんの前にベテランの外山さんがついてもらいリードしてもらった。
枡取倉山からその先の標高1100mの鞍部に下るのに1時間半もかかった。
このペースでは幕営予定地のヤンゲン峰まで行くのは困難と判断し、サブリーダーの本田さんに先行してもらって、次の1150mピークの上に幕営適地があればそこで幕営、または、その近くで幕営地を見てきて貰うことにした。
少しおいて我々も出発、すぐに本田さんが空身で戻ってきて、1150m峰上に幕営適地あるとのことだった。本田さんは中澤さんのザックを担いで登っていった。
1150m峰上は狭いが平らになっていて、鉈で藪を切り開けばテント一張り分のスペースはありそうだった。
少し休んだ後、雪で水作りするものと、幕営地を切り開くものに分かれて作業に入った。
ところが、テントのポールを持ってくるはずだった中野さんがポールを忘れたと言い出した。どうやら分担した装備一式を忘れてきたらしい。
彼の分担はポールとガソリンだ。しかし、忘れてきたものは仕方が無い。知恵を出してテントを設営しなければならない。
まず、ザイルをテントの梁のポールを入れるところに通してテントをつるし、立木に縛り、その他に細引きで四方から引っ張ってテントを広げた。そして、ここからは中野さんが責任を感じて腕を発揮した。弾力のあるマンサクの木が沢山生えているところだったので、適当な大きさに切ってテントの中に曲げていれて支柱とした。さらに、テントの壁面にも木を渡して、見事にかまぼこ型のテントが出来上がった。フライは上からかぶせるだけになったが、暴風雨でもない限り大丈夫だろう。
テントの中はマンサクの花が咲き、中野さんは自らの失敗を見事にリカバリーして見せた。
その晩は、マンサクの支柱のテントで快適な一夜を過ごした。
ガソリンの方は個人装備でガスコンロもあることから何とかなりそうだった。


5/4
5:30 1150m峰(幕営地)発-6:55ヤンゲン峰着7:05発-9:00赤津山着9:20発-11:05藤十郎山着(昼食)12:00発-14:00 1407m峰-16:00二ツ峰-18:25門内岳着(小屋泊)

予想以上の藪こぎで進行が遅くなった上、予定地より手前で幕営になったので、この日の行動に4つの選択肢を設定してメンバーに伝えた。
@12時までに赤津山に到着しなければ、加治川治水ダムへ下山。
A夕方までに藤十郎山に着かなければ、翌日赤津山に戻り、加治川治水ダムへ下山。
B16時までに二ツ峰を越えられなければ、二ツ峰手前で幕営。
C16時までに二ッ峰を越えられれば、当日中に門内岳を目指し、小屋に泊まる。
赤津山より西の峰を経て下山するルートはしっかりした道があることを以前歩いて知っていたので、計画書にもエスケープルートとして記載しておいた。
とにかく、最善はこの日のうちに門内にたどり着くことだ。テントの支柱が無いので幕営に時間がかかる。できれば小屋に入りたい。その為に3時半に起床として、5時半に出発した。門内岳到着の目標時刻は18時、その為には16時には二ツ峰を通過しなければならないのだ。
ヤンゲン峰に近づくと雪の上を歩く割合が増えてきた。なかなかいいペースで進んでいく。
天気予報は昼頃から雨の予報だったが、この時点で飯豊連峰は相変わらず雄大な姿を見せていた。振り返ると二王子岳もどっしりと構えている。
ヤンゲン峰から赤津山の間は藪は少なく、雪の上の快適な歩きだった。この時、常にこれから進む尾根を眺めて、雪の付き具合を頭に叩き込んでいた。
赤津山の登りは急だったが、ゆっくりと歩き一気に登ることが出来た。
赤津山の山頂では、このコースの一つの目標を達成したことを祝ってウイスキーで乾杯し、記念写真を撮った。私にとっては98年の秋に訪れて以来3年半ぶりの赤津山になった。
これで@の選択肢は消えた。
しかし、この頃から飯豊の山々に雲がかかり始め、それがやがて低くなり雨が降り始めた。
千石平、万石平は広い雪原で快適に歩くことが出来た。このあたりで雨具を装着した。
藤十郎山が近づくと再び厳しい藪こぎになった。しかし、枡取倉山付近よりも鉈目が多く、赤津山より藤十郎山までは鉈目が付いていることが想像できた。
新人の中澤さんも藪に慣れたのか、藪こぎの速度が前日より速くなっている。
藤十郎山で雨の中立ったままでの昼食となった。体が冷えているので暖かいラーメンがおいしく感じられた。
石転び沢を登っている収容第一班と12時の定時交信を試みるが、交信できない。この後、1時間ごとに交信を試みるが結局この日は収容隊と連絡は取れなかった。
ここでAの選択肢も消えた。
ガスに包まれ始めてきた。先頭を行く本田さんに尾根がカーブしているところで北股川方向に迷い込まないよう確認したが、その付近はまだ視界が20m以上あったので迷わずに通過できた。
その後、ガスが濃くなり、視界は5mくらいになっいた。残雪歩きより藪のほうが多くなった。

二ツ峰手前の1407m峰か1469m峰で進むか幕営かの判断をしようと思っていた。
1407mピークがガスの中に浮かび上がると、前のほうから「二ツ峰が見えた」と声がした。しかし、それは違うと声をかける。
1407m峰には14時に通過できた。ヤンゲン峰あたりから二ツ峰を見たとき、ここから先二ツ峰までほぼ藪に見えた。しかし、2時間もあれば二ツ峰に到達できるだろうと考え、この日の目標は門内小屋だということを決意し、メンバーに伝えた。この時点でCの選択肢に絞り込むことになる。
そこから少し登ったあたりで、残雪は無くなり、長い藪こぎが始まった。
1時間もすると、中澤さんの疲れが見え始め、歩く速度がかなり落ちてきた。あたりは濃いガスに包まれ、相変わらず雨は降り続いてる。藪に押し付けられるせいか、雨具を通して水が浸透してきて、全員中までびしょ濡れだ。
二ツ峰手前で運良く雪堤があり、少しの間藪こぎから開放された。
二ッ峰が近づくと、低木の藪になるが、枝が複雑に伸びていたり、硬い木が出てきたりして歩きにくかったが、鉈目は無いものの、明らかに踏み跡が出来ていて、予想より楽に進めた。おそらく、このルートは残雪期に良く歩かれるルートであり、この二ツ峰付近は雪が早く消えることから稜線上に踏み跡が出来るのだろう。
岩場が多くなり始めて、二ツ峰の山頂にようやく到着することが出来た。時間はタイムリミットぎりぎりの16時だ。
ここは岩場の下りがある。かつて胎内尾根に登山道があった頃に付けられた鎖があるのだが、下半分は切れていた。でも、足場や手がかりが多くある岩場だったのでザイルは出さなかったが、岩場に慣れていない中野さんや中澤さんは下りに手こずっていた。外山さんが短いロープを持っていたので、鎖に継ぎ足したが、それでも長さが足りず、やはりザイルを出すべきだったかもしれない。
岩場の下りが終わるとナイフリッジになっていた。そこを通過すると広い雪原に出た。藤七の池付近だろう。しかし、ガスのため視界が3mくらいで、雪原と笹原で迷いやすくなっている。サブリーダーの本田さんと地形図で方向を確認して、本田さんにはコンパスを見ながら進んでもらった。途中でメンバーを待たせて本田さんが偵察に行く場面もあった。
ネマガリダケの笹薮の藪こぎは滑りやすいが、かつてあった登山道が踏み跡として残っているので、歩きやすかった。
門内岳の登りに差し掛かると雪の登りになった。中澤さんの疲労が濃くなっている。だんだんと立ち止まる回数が増え、10歩歩いては立ち止まり、5歩歩いては立ち止まりして登っていた。もう目標の門内岳は目前だ。ただ、ガスに包まれているので目標が見えない。
18時の定時交信で、豊栄に待機中の品田さんと連絡が取れた。これで、交信できたことでほっとした。
ガスの中、うっすらと祠が浮かび上がって、門内岳に着いた事を知った。すぐ近くに小屋がある。小屋に着いた時、島さんが助かったと言っていた。たしかに、ほっとしたというより助かったという表現のほうが良かったかもしれない。
13時間に及ぶ藪と残雪の歩き、その上、冷たい雨と濃いガスの中、しかも重い荷物を担いでの行動だ。それでも弱音を吐くことなく全員がんばって門内に到着することが出来た。
門内小屋に入って全員で握手を交わし、目標達成の喜びを分かち合った。
その晩は翌日はゆっくり寝てても良いよと言ったら夜遅くまで歌を交えての宴会になった。小屋には我々以外誰もいない、いい夜だった。

5/5
8:00門内小屋発-8:45北股岳着8:50発-9:30門内小屋着10:40発-11:35地神北峰着(昼食)12:30発-(途中収容第2班と合流乾杯)-15:40天狗平着=梅花皮荘で入浴=18:30豊栄中央公民館着

夜半過ぎより強風でうるさくてよく眠れなかった。
起床時間は設定していなかったが、全員早く目が覚めていたようだ。6時には起きだして朝食の準備に取り掛かった。
梅花皮小屋に泊まっているはずの収容第一班の行動が気がかりだ。結局彼らとは連絡は取れていないのだ。
風は相変わらず強かったが、雨が止んできたので北股岳まで行くことにした。
8時に門内小屋を必要最低限の荷物を持って出発。風は強く体を斜めにして歩けるくらいだった。ガスも相変わらず濃い。
北股岳の登りに差し掛かったとき、丸山さんをリーダーとする収容第一班と出会えた。彼らは前日石転び沢を登り、この日我々と合流して下山する予定なのだ。握手をして二王子〜赤津〜門内の踏破を報告、無線連絡が取れず心配していたがお互いの無事が確認できてほっとした。収容第一班との乾杯は我々が北股岳を往復した後で門内小屋でやることにして、一旦彼らと別れた。
北股岳の山頂も相変わらずのガスの中だった。持ってきた缶ビール2本をメンバーで分け合って乾杯し、記念写真を撮った。
寒いのですぐに下山にかかる。
下り始めてまもなく、一気にガスが晴れ、二ツ峰が目前に現れた。やがて赤津山や二王子岳も現れ、我々が歩いたルートを確認する。感動の瞬間だった。今まで何度か北股岳を訪れているが、同じ風景なのにこれだけ感動したのは初めてだ。
門内小屋に戻り、収容第一班と乾杯する。
10時の定時交信で、丸森尾根を登っている日帰りの収容第二班と交信した。
彼らは地神山まで登らず途中で待機するようだ。出来れば、ガスが濃いので、地神山まで登ってきてもらって我々を案内してもらいたいと思っていたが、体力の無いメンバーもいるので高望みは出来ない。残雪期の丸森尾根の経験者がどうやらいないようなので、コンパス頼りの下山になりそうだった。
深い思い出の出来た門内岳を後にして、下山にとりかかった。
地神北峰で風を避けて昼食とした。
雪の上にどうやらトレースがあり、このトレースを頼りに下山できそうだった。
本隊、収容隊あわせてこの時点で総勢13名。ガスの中で隊がバラけると危険なので、丸山収容隊リーダーを先頭に固まって歩くように指示した。
トレースが残っているとはいえ、やや消えかかっているところもある。丸森尾根上部は広く、立派な枝尾根が左にあることから、そちらに迷い込む危険性もある。私が隊列の最後尾に着くと、先頭が見えず、間違った方向に進んだらそれに気づくのが遅くなることから、隊の斜め後方を歩き、トレースからはずれないように監視していた。
案の定、左に迷い込みそうになったので、声をかけ進路を修正した。
丸森峰で一旦夏道が現れた。この付近からは尾根の形状がはっきりしているので迷うところは無いだろう。
再び雪の上のの歩きとなった。ガスの下に出てきて、視界が広がった。
1200m付近の尾根上に品田さんがリーダーの収容第二班6名がシートを広げて待っていた。
再びビールで乾杯し再会を祝った。しかし、せっかく担ぎ上げてくれた食べ物は、既に満腹の腹に入れるのはきつく、かなりの量が残ってしまった。
ここからは総勢19名の大部隊である。道もはっきりしているし、迷うところも無いから、隊が自然にバラけてもそのまま進んだ。
見晴らしのいい雪原で全員で記念写真を撮った。
最後の急坂を下りきって無事飯豊山荘のある天狗平に下山した。
収容隊の車に分乗して、風呂の広い梅花皮荘に行ってそこで入浴し、豊栄に帰って解散となった。

私は今後仕事の都合でこれまでどおり山に行くのが難しくなる。区切りの時に充実した山行が出来て良かった。
でも、山は絶対やめられないな。

北股岳山頂にて(撮影、島さん) 北股岳にて二ツ峰がガスの中から現れた(撮影、島さん)


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