俎倉山

豊栄市市民登山

2002年10月6日、総勢67名

(今回はコースタイムの記録をとっていませんでした。)

 私の所属する豊栄山岳会は、毎年春と秋の年2回、豊栄市主催の市民登山に協力している。
 この秋の市民登山は、私がリーダーに指名され、新発田市近郊で手軽な山として親しまれている俎倉山に登ってきた。

 豊栄市総合体育館に集合し、2台のバスに分乗して登山口に向かった。
 登山口ではまず記念写真を撮り、山岳会のメンバーを紹介した後、藤巻さんから応急手当などの簡単な講座を開いてもらった。山に親しむためにはぜひ知っておきたい内容であった。そして、準備体操をした後、順次登山を開始してもらった。
 班体制は5班。それぞれ山岳会のメンバーが2名ずつ付き、具合の悪い人などのために、収容班が最後尾を歩いた。
 
 登山口から続く杉林を抜けると間もなく、琴沢の渡渉地点がある。ここはあらかじめ外山さんと佐藤健吾さんが渡渉のサポートに立ってもらった。彼らは市民がやってくるまでに、渡渉しやすいように石を沢に投げ込んで、足場を作ってくれていた。私はその先のへつりの部分でロープの張っていないところにロープを張った。下見のときは、岩にハーケンをうとうとも考えたが、潅木にロープを結び、その間に私が立って高さを調整して全員の通過を支えた。全員通過後、再度ロープを結びなおして、下山のときは私が立たなくてもいいようにした。
 そこからしばらくは最後尾について歩いたが、途中から全員を追い越し先頭に立った。
 
 カツエの水場が通常なら最後の水場になる。山頂に近いところにあるジゲの沢も水が得られるがあてにならない。半分くらいの人が通過するまで水の補給を促した。全員通過してからまた全員追い越すのも大変なので、半分の人が通過した頃を見計らって、再びピッチを上げて歩き、全員を追い越した。
 お京平を過ぎると道は急になり始める。そして、ジゲの沢手前に足場の悪いところがある。そこで再び全員が通過するのを見守った。ちなみにジゲの沢は当会会長の愛称「シゲ」から取った名前だそうである。ただ、シゲにするとあまりにも直接過ぎるのでなまらせたそうだ。(本人から聞きました。)
 ジゲの沢を全員が通過するのを見届けて、またピッチを上げて歩き出した。今度は急登であるが、狭い山頂で皆が来る前に登り、先の天狗の庭に行く班と、山頂に留まる班をうまく誘導せねばならない。幸い、多くのメンバーが急登途中で休んでいたので、なんとか山頂で先頭に追いつくことが出来た。
 先に着いた2班を天狗の庭のほうに行ってもらう。ややばて気味の人もいたが、一人の落伍者もなく全員が登ってきた。
 山頂で休む班も希望者には天狗の庭に案内した。天気は晴れていたが気温が高いせいか遠くの山は霞気味だったのが残念だ。それでもなんとか飯豊の稜線はうっすらと見えることが出来た。

 思ったより早く山頂に着いたので、山頂でゆっくり休憩時間をとった。早く降りてもバスは3時に迎えに来る約束なのである。
 下山予定の12時半頃、順次下山の途についた。
 全員歩き出したのを見届けてから、また全員を追い越し、ジゲの沢の足場の悪いところに立った。
 我々山慣れしているものには何てことない岩場だが、市民の方は通過するのは大変だ。下から声をかけて、手の場所足の置き場などを指示した。この場所の通過には時間がかかった。
 全員の通過を見届けてから、最後尾を歩いた。後は足場の悪いところは琴沢の渡渉だけだ。そこは、サポートするメンバーが決まっている。ザイルを張ったところは、私がいなくても大丈夫だろう。
 
 収容班のメンバーと話しながら下山した。
 お京平にある遭難碑の主は豊栄の人だったようだ。豊栄山岳会の古いメンバーは当時のことを詳しく知っていた。4月の下旬に高校生が誘い合わせて俎倉山に登った。4月の下旬といえば、まだ大部分は雪の山である。そして、二人がヒルワ覗き付近のへつり道でヒルワ沢に滑落、雪渓になっていた沢のシュルンドに落ち、トンネルになっていた雪渓の下にもぐってしまい亡くなったそうだ。
 当時は役場の力を結集して救助にあたったそうだ。
 その後、豊栄山岳会が中心となって登山道を整備し、道標を設けた。遭難者の名前にちなんで、「お京平」「カツエの水場」と地名を付けたのもこの頃だそうだ。(遭難者は京子さん、勝榮君という)
 
 琴沢に近づく頃から渋滞になった。バスが3時の約束だったので、その頃はまだ2時頃、渋滞になって遅いほうが都合が良かった。
 ザイルを張ったところを全員通過した後、ザイルは回収した。
 琴沢の渡渉は下りのほうが大変そうだった。そして、琴沢でゆっくり休んだ後、登山口に戻ってきた。
 最後尾の私が着く頃にはバスは到着していて、市民が乗り込んでいた。

 大人数の市民登山となると市民の皆さんに山に親しんでもらおうというよりも、無事に下山できることを最優先して考える。気も使ったし、ペースが一定で歩けなかった分足も疲れた。
 でも、市民の皆さんは楽しんでもらったようだと、自分では勝手に解釈している。

山頂の様子 登山口での集合写真

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