米山
吉尾コース
2002年11月10日、単独
コースタイム
5:00新潟市発=7:10吉尾着7:25発-7:55石仏-8:53山伏岩-9:50女人堂跡-10:10米山山頂着10:50発-11:11山伏岩-11:35石仏-11:50吉尾着=鯨波(メトロポリタン松島)=15:00新潟市着
米山は刈羽地方や上越地方のシンボル的存在の山で、地元の人から愛されている山である。
今年は秋が一気に駆け抜け、越後の山は既に白くなってしまった。そして、新潟市でも観測史上最も早い初雪を観測した。例年なら藪山攻略のシーズンであるが、予定がすっかり狂ってしまった。
この日も天気予報は雪マーク。12月下旬並の寒さである。どこの山に行こうか前日まで悩んだが、来月予定されているとんとんグループ(てくてくの会)のクリスマス登山に米山を計画したので、その下見に行くことにした。
新潟市の西のはずれの我が家より、海岸を走る国道402号を柏崎を目指して走った。海は荒れ潮風が車を揺らしていた。
米山は過去2回登っている。いずれももっともポピュラーな大平コースよりの登山だ。大平コースは整備が行き届きすぎで少々つまらない。一度吉尾コースを登ってみたいと思っていた。
柏崎市街を通り抜け、鯨波で8号線に乗る。そして、米山大橋手前より国道をはずれて青海川に降り、谷根(たんね)川沿いに谷根の集落まで登る。谷根の集落より右に折れ、小杉集落へ向かう。そして、最後の集落小杉を通り過ぎ、廃村の吉尾に入った。
地形図では吉尾コースの登山道は吉尾の集落跡を流れる払川右岸にあるが、現地に着くとそれらしき道は無かった。そのまま注意しながら先へ進むと、そこから少し登ったところに登山口の標識があった。
登山口に着いて水筒に水を入れてくるのを忘れたことに気づいた。それに、私の山の標準装備であるビールも忘れた。目の前に沢が流れているが、その水を飲む気にはなれない。喉が渇くのは山頂についてからだろうと考え、その時雪を解かして水を作ればいいさとあきらめて歩き出した。しかし、ビールは今回はお預けだ。
歩き出してすぐ石の橋がかかった沢を渡った。この沢の水も飲む気にはなれない。ところが、その先すぐに湧き水が流れ出ていた。水はここで補給した。しかし、ビールは山から湧き出るわけも無い。
天気は曇っていたが、雨も雪も降らず青空が覗いていた。
登るにつれて沢の音が小さくなると海の波の音が聞こえてきた。振り返ると葉の落ちた木の間から青い海が見える。
標高400m付近から登山道を雪が覆い始めた。足場が見えずに歩きにくい。
尾根上に出ると石仏があった。石仏の標識には「H500m」とあるが、その後ろの木にくくってある標識には「二の坂の上、H480m」とある。地形図では470m付近で尾根に上がることになっている。付近は相変わらずうっすらと雪が積もっている。
この登山道には山頂まで○○米という標識が短い間隔で立っていて登りの励みになる。ちなみに吉尾から山頂までは3200mのようだ。
登るにつれて雪の量が増えだした。それでも、足首くらいまでもぐる程度でわかんの必要は無い。
山伏岩の標識には山頂まで40分と書いてあった。しかし、雪山ゆえそう簡単には行かないだろう。
釣瓶落としの急坂を登り、山頂まで400mの標識付近でわかんを装着した。
山頂まで200mの所は広場になっていて、女人堂跡の標柱が立っていた。その標柱も女人の文字だけが雪の上に出ていた。そこから200mに20分も費やした。わかんを付けて常に膝上のラッセルになっていた。
山頂付近は積雪が少なかった。大平コースからトレースが伸びていた。
山頂の薬師堂にお参りして避難小屋に入った。
寒い冬の避難小屋はありがたいが、この小屋は大きいので一人で入って火をたいてもいても寒かった。かべにねじ巻き式の振り子時計がかけてあった。ねじ巻き式とは毎日のように誰かがねじを巻かなくては止まってしまう筈だ。
休憩しているうちに2人パーティーが小屋に入ってきた。聞くと柏崎の方で、毎日のように登っているそうだ。振り子時計のことも聞いた。やはりこの人がねじを巻いているそうだ。すごい人がいるものだ。
この二人組みはすぐに下山して行った。
下山は速い。苦労してラッセルしたところも難なく通り過ぎる。吉尾コースは海に向かって下山するので海の展望が素晴らしい。
1時間で吉尾まで下山した。
下山後、来月のクリスマス登山のために集合場所など下見した。そしてまた、日本海の海風に車を揺らしながら新潟まで帰ってきた。
ビールは家に帰ってから早速飲んだ。
<吉尾コースは海の景色と冬山の景色を楽しめる>
*米山は多くのガイドブックでは中越の山として取り扱っていますが、このサイトでは刈羽平野以西を上越の山として分類してありますので、上越の山としました。