飯豊山(途中撤退)
川入〜松ノ木尾根〜三国岳〜切合
2003年1月1日〜3日、豊栄山岳会冬山合宿
1月1日
コースタイム
5:07豊栄体育館前発=津川=会津坂下=山都=7:50川入着8:25発-9:22御沢着9:31発-10:20松ノ木尾根取付き-13:25一服平(サポート隊とお別れ)-15:10稜線-15:30三国小屋着
冬の晴れた日、新潟から東の空を眺めると、白く輝く飯豊連峰が見える。それは、前衛の山々を従えて名山と呼ぶだけでは物足りなく、それ以上に神々しい存在として目に映っている。
その神々しさにひかれて越後の岳人は積雪期の飯豊連峰に足を踏み入れてきた。そして、我が会も今季の冬山合宿は久しぶりに飯豊連峰を舞台に行われることになった。私にとっては初めての厳冬期の飯豊である。
元旦未明、豊栄総合体育館にメンバーが集合しサポート隊の小林号、本田号、大津号の3台に分乗して一般道で入山口の福島県山都町の川入を目指した。走るにつれて夜が明けてきて、越後の冬には珍しい快晴の青空が現れると自然と気持ちが昂ぶってくる。
川入は冬季は無人となるがしっかり除雪されていて入ることが出来た。支度をしていると新潟の峡彩山岳会のメンバーがやってきた。12/29より大日岳を目指して入山しているメンバーのサポート隊のようだ。
ここで足を痛めている小林会長と別れ、本隊7名とサポート隊2名は御沢へ続く林道に足を踏み入れた。
積雪は30cm位であろうか、厳冬期の飯豊の登山口の割には大変少ない積雪だ。林道にはしっかりしたトレースが伸びており、最初はわかんを履かずに歩いたが、すぐに念のためにわかんを装着した。
御沢で長坂を登る夏道とわかれ、大滝遊歩道を進む。やがて目の前に堰堤が現れ右側を登り杉林に入った。そのあたりでトレースは消えたようだ。
少々迷いながらも、タカツコ沢を渡渉して松ノ木尾根に取り付いた。タカツコ沢は靴を履いたまま飛び石伝いに渡渉できた。
なかなか急な登りが続いた。久々の重荷でペースが上がらないが、峡彩山岳会本隊のトレースが残っているのと、サポートメンバーの本田さん大津さんのリードのおかげでラッセルすることなく登ることが出来た。
前方左に長坂峰が青い空に突き出て見える。振り返ると磐梯山がスマートな姿を見せていた。昼食を摂っているときに峡彩サポート隊のメンバーに追いつかれたが、常に我が隊が先行して登っていった。
尾根がカーブしやや登ったところの一服平でサポート隊に別れを告げた。
新雪の下に峡彩本隊のトレースがあるが、よくわからず先頭は膝くらいまでもぐるラッセルになった。怪力の中山さんがよくリードし、島さんと私が時々交代して登って行った。
疣岩山に続く稜線は小さい雪庇状になっていたが、問題なく登ることが出来た。稜線に上がると白い大日岳が堂々とした姿で目に飛び込んできた。そして、飯豊本山の緩やかな稜線が白く輝いていた。下降時に迷わないように標識旗を立てて三国岳へ向かう。
三国小屋は2階の窓から出入りするようになっていた。雪を払って中に入れば快適な宿舎だ。小屋の存在のありがたさを感じる。すぐに峡彩サポート隊パーティーも追いつき、この日の小屋の泊りは2パーティーだった。
食料担当の中澤さんが腕を振るっての夕食はとても豪華で、標高1600mでの正月の夜はとても贅沢に更けていった。
1月2日
コースタイム
8:00三国小屋発-11:20切合着12:33発-14:45三国小屋着
2日目は吹雪だった。視界は10m-30m、飯豊の経験者の寺尾さんがリーダーでなければ停滞していたかもしれない。出発時間が遅れたが、それでも本山目指して出発した。
三国岳〜七森間は山形県側に雪庇が出来ているため稜線の進行左側(新潟県側)の樹林の中を歩いていった。最初わかんをつけて歩いたが、七森手前でアイゼンに履き替えた。
視界が利かないが峡彩の設置したルート旗のおかげで前進できた。しかし、峡彩は下山時に旗を回収すると考え、我々は自らの旗や赤布を帰路確保用に設置しながら歩いた。
風速は常に10m程度あっただろう。でも、冬型の気圧配置の中の2000m近い稜線の割には弱いと思った。おそらく、大日岳〜飯豊本山の2000mの稜線の風下だから、この程度なのであろう。
気温は私の首からぶら下げている温度計で-12゜Cを指していた。
尾根が広がり尾根上を歩けるようになった。種蒔山が近いことが分かる。
真っ白い雪原に赤い旗がはためいている。その旗のところに立つと次の旗が見えるといった感じで歩いて行った。
種蒔山付近で11時を過ぎた、リーダーより適当なところでフライをかぶって昼食にするかという話になった。種蒔山最後の高台に立ったとき、視界が開けた瞬間切合小屋が見えた。そして、こちらに向かって来る峡彩本隊のメンバーが見えた。小屋で昼食を食べられると思うと自然と歩速が早くなる。
峡彩本隊とすれ違い挨拶を交わした。設置したルート旗はそのまま残していくという。ありがたいことだ。我々が回収して三国小屋で渡すことにした。
切合小屋も2階の窓から入った。そこで昼食とし、ここから先へは進まず撤退する事となった。天候と時間を考えると当然の判断だと思った。
小屋でゆっくり休んで外に出てみると、相変わらずの吹雪だったが、視界は100m以上見えるところまで回復していた。
ルート旗を回収しながら三国小屋へ向かった。
七森を過ぎたところの急な斜面を降りるところで、雨具のズボンにアイゼンを引っ掛けてしまった。買ったばかりの雨具が破れてしまった。前の雨具もアイゼンでだめにした。歩き方に注意しなければならない。
帰路は稜線の雪庇の存在がはっきりわかった。視界が利くと安心だ。七森との鞍部手前から三国小屋が見えた。
午後3時前には小屋に入った。この日は峡彩の本隊も加わり、再び賑やかな夜になった。
吹雪の種蒔山付近 |
1月3日
9:07三国小屋発-10:55標高980m付近で収容サポート隊と出会う-11:45タカツコ沢渡渉地点で昼食12:55発-13:50川入着=いいでの湯で入浴=18:00頃豊栄着(解散)
深夜小用に外に出ると満天の星空に飯豊の稜線が浮かび上がっていた。吹雪は止んだようだ。
朝、磐梯山と吾妻連峰の間から日が昇り、素晴らしいご来光を拝むことが出来た。大日岳がその光りを受けて赤く染まり、幻想的な風景を見せていた。
この日は下山するだけだ。日程が許せば再度飯豊山にアタックしたいところだが、大部分のメンバーが下山を希望している。
峡彩のメンバーは早々に小屋を後にした。
我々はゆっくりと9時過ぎに小屋を後にした。
再び絶景の中を下山する。先行パーティーのトレースのおかげで楽々歩行だ。
設置したルート旗は全て回収した。そのルート旗をくくりつけたザックが少しの風であおられて歩きにくい。
一服平を過ぎ、尾根が曲がると尾根は痩せてくる。旗竿が木にあたらないように体を傾けた瞬間転落してしまった。2-3m位落ちただけだろうと見上げると、10m位落ちたようだ。
急斜面をトラバースして登りやすいところで登ろうとするがなかなか登れない、外山さんにロープで荷物を上げてもらい、体を軽くして這い上がった。それからは旗竿は手に持って歩いた。
そこから間もなく収容の大桃さんに会った。そして、佐藤寿子さん、佐藤健吾さん、丸山さんと合流した。収容隊の差し入れのビールが喉を鳴らす。
そこからは更にしっかりしたトレースのためわかんは不要だ。快適に下山する。
松ノ木尾根の取付を離れ、タカツコ沢を渡ったところで昼食になった。
そして、杉林を抜け御沢より林道を足早に歩いて川入に戻ってきた。
一ノ木のはずれにあるいいでの湯で体を温め、収容隊の車に揺られて豊栄に戻り、解散となった。
真白き飯豊の中で過ごした贅沢な正月三が日だった。
吾妻山と磐梯山の間から登るご来光 | 大日岳〜飯豊本山の稜線 |