毛猛山

百字が岳、太郎助山、足沢山

2003年4月27日、本田さん、吉田

コースタイム
4:00足沢出合登山口発-6:10足沢山直下トラバース着6:25発-7:58太郎助山着8:20発-8:58百字が岳着9:05発-9:33中岳着9:40発-10:20毛猛山着11:40発-12:10中岳-12:40百字が岳着12:50発-13:28太郎助山着14:00発-16:50足沢出合登山口着

 この1週間毛猛のことばかり考えていた。
 前週の4月20日、会の山行で毛猛山を目指したが、前日夜、悪天候から出発時間を遅らせて前衛の太郎助山までに予定が変更になった。メンバーの力量など考えたら妥当な変更であったが、太郎助山山頂から見る毛猛山は手を伸ばせは届くような至近距離にあり、登頂の思いは膨らんでしまった。
 山岳会の会議の時この思いを副会長の本田さんも持っていると聞き、それでは二人で行きましょうということになったのだ。そして、会の伊藤さんも他のメンバーと毛猛を目指すことを知り、またそれだけでなく、20日に太郎助山で出会った石川県の女性も同じ思いを抱いていることをメールで知り、また、他の人からもこの日毛猛を目指すことの連絡があり、この日は難攻不落のイメージのある毛猛の山頂は賑やかになることが予想された。

 前夜新潟市内で本田さんと合流し、登山口に近い入広瀬村の大白川を目指した。大白川駅で一夜の宿をと思ったのだが、深夜駅に着いて見ると鍵がかかっており中に入れない、トイレも施錠されていた。仕方なく車の中で眠ることにし、登山口の足沢出合に向かい、現地で車の中で仮眠した。現地は他のパーティーの車があることが予想されたが、我々の車以外は車は無かった。
 3時半、目覚ましのけたたましい音で目が覚める。車が一台到着しており、一人の登山者が歩いていった。
 我々も急ぎ支度をし、すぐ近くのちょろちょろ水がしみ出しているところで少々水を補給して歩き出した。
 本田さんは徹底的に荷物を減らしている。まだ真っ暗なのにヘッドランプさえ持たない、ピッケルも無し、私が持っていくことを知ってガスコンロも置いていった。私との荷物の重量の差は相当あるだろう。
 末沢川をコンクリート橋で渡り、只見線の線路に上がり、洞門をくぐって尾根に取り付いた。最初はブナ林の斜面を登っていくが、前週斜面を覆っていた雪はほぼ全て消えていた。
 尾根に上がるとしっかりした道がある。登るにつれてあたりも明るくなりヘッドランプは消した。
 先行していた登山者に追いついたら、前週太郎助山であった女性登山者のYさんだった。彼女からはメールで前週の20日の後、22日もトライして百字が岳で撤退し、そして、この日も行きたいと思っていることをメールで知ったのだ。1週間ぶりの再会となった。
 762mピーク手前の雪原も目で分かるほど積雪が減っていた。その代わりブナが新しい葉を付け、1週間で季節が進んだことが分かった。
 762mピークを過ぎると再び夏道となったが、足沢山が近づくと再び雪の上に出た。
 標高1050m付近からYさんは足沢山をトラバースするといい、尾根からはずれた。我々は当初足沢山からの展望を楽しもうと話していたが、Yさんの行動を見てすぐ予定を変えてトラバースに移った。
 Yさんは女性とはいえ雪のトラバースを臆する事も無くぐんぐん進む、我々の会の女性だったら腰が引けてなかなか進めないだろうと本田さんと話した。それにしても本田さんはピッケルを持っていない、足を滑らせたら止められないのにさすが長年の山やさんだ。
 トラバースの途中で私の水筒の水が少ないのでガスで雪を解かして水を作った。
 内桧分岐を過ぎた鞍部辺りで稜線に出た。そのあたりでYさんにも追いついた。
 稜線の雪堤は1週間でだいぶ落ち、藪っぽい夏道歩行の割合が多くなった。
 Yさんとある程度一緒に行動したが、振り向くと離れてしまったようだ。
 太郎助山山頂で小休止、20分ほど経ってYさんが来るのを確認して百字が岳へ向かった。この頃からガスに隠れていた周囲の山々も顔を出し始め、空も青空の割合が多くなった。
 太郎助から先の藪はこれまでとは違い密度が濃かった。足が張り気味の私はマイペースで歩くべく身軽な本田さんに先に行ってもらった。本田さんはベテランらしく藪に臆する事も無くどんどん先行していった。
 進行右手にある桧岳の姿がどんどん変わっいった。
 百字が岳手前はちょっとした岩場になっていた。百字が岳山頂は岩があり適度に腰をおろせる山頂だった。目指す毛猛山が間近になってきた。
 わりと稜線上に雪も多く歩行の手助けになった。しかしも一旦藪に入るとシャクナゲやイヌツゲが進路を阻む場所が多い。
 中岳を過ぎると山頂は指呼の間だ。毛猛山頂に二人の人影が見える。おそらく六十里越から登ってきたのだろう。
 鞍部で雪を拾いビニール袋に入れてビールを冷やす。山頂に着く頃は飲み頃だろう。
 毛猛山南西斜面に残った雪を使って高度を稼ぐ、雪を拾ったり用を足したりしたため先行する本田さんとはかなりの距離が開いた。
 山頂直下で猛烈なネマガリタケの藪になった。進路が見えず掻き分けても足に絡み登りにくい。やや左気味に進路を取ったら藪が薄くなった。
 そして、薄い藪をひと掻きして久恋の毛猛山の頂に立った。先ほど見えていた2人の登山者は降りて行った様だ。
 山頂は三角点の周りは広く刈り払われており、そして、360度の大展望が広がっていた。本田さんとふたりで持ってきたビールで乾杯、至福のときだ。
 周囲の山々もガスが晴れ春霞で遠方の山は良く見えないが、素晴らしい展望だ。未丈ガ岳まで続く稜線はまだ大半が雪が付いていた。そして、周囲を囲むのは会越の渋い山々だ。守門岳、浅草岳、会津朝日岳、会津丸山岳、未丈が岳、荒沢岳、そして、越後三山。桧岳は背中を向け、足跡を残してきた百字が岳や太郎助山は尖った頂を我々に見せている。
 暖かい陽気の山頂はいつまでもそこに居たい気分にさせてくれる。
 「おーい」と呼ぶと六十里からやってきた登山者の声が返ってきた。
 しばらくするとYさんの「おーい」と呼ぶ声が聞こえてきた。そして、その後ろにも男性の声がする。せっかく途中まで一緒に来たのだ、彼女を待つことにした。
 我々より1時間ほど遅れてYさんが登ってきた。そして、一緒に後ろから追いついた事前にメールで連絡のあった石川県のIさんもやってきた。4人で登頂の喜びを分かち合い、記念写真を撮った。
 しかし、いつまでも山頂の気分に浸ってはいられない。会の伊藤さん一行が到着するまで待ちたかったが、下山することにした。
 山頂直下のネマガリタケの藪の中で伊藤さんに会った。くるしいけどこの藪をこのまま進まなければならないことを告げその場で別れた。
 雪原に出て振り返ると、YさんやIさんも後を追ってきた。それにしても太郎助までは登り返しも多く藪も濃い、私の足はかなり張って来ている。
 太郎助に戻る頃は後続を引き離していたが、YさんやIさんの顔を見てから下山すべく到着を待ち、Yさんの顔を見てから出発した。
 本田さんはベテランらしく、雪だろうが藪だろうがどんどん進む。私は遅れ気味だ。
 途中で1泊する予定の2人パーティーに出会った。東京から来られたそうだ。「こんな越後の藪山にわざわざくるなんて」などと話したら「こんな山だからこそわざわざ来るのです。」と話しておられた。
 足沢山は登り同様トラバースした。
 足がきついので何度か休みをとりながら下ってきた。
 登り口のブナ林は新しい葉を付け、新緑の森になっていた。

 難攻不落の藪山毛猛。しかし、登ってみるとすばらしい名山であった。

<毛猛山山頂からの風景>

大鳥岳〜未丈が岳へ続く稜線 守門岳〜黒姫 浅草岳
百字が岳〜太郎助山 桧岳

新潟県中越の山目次へ戻る

ホームへ戻る

inserted by FC2 system