西山日光寺
2004年11月28日、単独
登山とは違うかもしれないが、山道をちょっと歩いたので報告したい。
上川村の役場が編集した山岳地図に赤線で道が記してあるので一度歩いてみたいと思っていたコースが西山日光寺の旧参道だ。
この寺の歴史は古く、桓武天皇の頃というので今から実に1000年以上前の建立ということになる。
最奥の払川集落より3キロの山道を歩いた先にある山寺で山門には金剛力士像がかざられているそうだ。歴史情緒あふれる山道を歩いてみたいと思い、この日時間が空いたので向かうことにした。
しかし、インターネットで調べると、今では林道が奥まで延び、歩かずに山門まで至ることが分かった。だが、せっかくだから旧参道を歩くことにした。
49号津川バイパスの道標に導かれて山側に折れる。車の通りの少ない道を川沿いに進んでいくと最後の集落祓川だ。集落は狭い谷間を開くようにたたずんでいる。
集落のはずれから姥堂川を2回渡った橋の向側の右側の藪の中に「西山日光寺旧参道」の標柱を見つけた。車を橋の手前の路肩に停め、長靴を履いて歩き出した。
小沢沿いにはっきりとした踏み跡があったのでそちらを進むと杉の植林の所で踏み跡が消えた。1000年も続く参道が沢沿いの険しい道にあるわけがなく、戻ってみると標柱の下にうっすらと踏み跡がある。どうやら旧参道は林道が伸びるにしたがって整備されずに藪化してしまったようだ。
石畳の参道を想像してきただけに現実とのギャップに驚いたが、藪こぎしながら歴史に思いをはせるのもよかろうと、その消えかかった踏み跡を辿ることにした。
藪が濃かったのは最初だけで、その後もちょっと藪っぽいが明瞭な道が続いていた。山肌をえぐってつけた道にいにしえの参道の面影を見たようだ。
やがて道が広がると工事で出た土砂を堆積したところに出た。そして、その先を林道が横切った。参道はというと林道の法面の上に道形が見える。古道を辿るつもりだったので、その草付の法面を攀じ登った。
参道は広くなっていた。この辺りからは最近まで使用されていたのだろう。
まもなく再び林道が横切り、地図入りの看板が立っていた。
この辺りからさらに歩きやすい道となった。地蔵が祭られたお堂を過ぎ、また林道が横切った。
少し行くと下り始めた。また林道に出そうになったので、右に折れる道を辿った。道は幅広く歩きやすい道だが、いつまで経っても寺の姿は現れない。また、林道が横切ったところで道を間違えたことを悟り戻ることにした。
地図も何も持たずにやってきたのがいけなかった。私としてはずっと石畳の道が続いているつもりでやってきたのだ、まさかこんなに道が分かりづらいとは思わなかった。
車まで戻って結局林道を走って西山日光寺に向かった。
寺について分かったが、私は山門直前で枝道に入ってしまったようだ。狐につままれた気分になった。いや、化け猫伝説の残る寺なので、猫にからかわれたのかもしれない。
山門の前はアスファルトの林道だ。アスファルトの色が山奥の古寺の雰囲気を壊していた。
山門には2躰の金剛力士像がかざられていた。上川村の文化財との事だ。
山門をくぐり、苔むした石段を登ると薬師堂だ。お堂の四面に十二支の彫刻がしてあるそうなので、周囲を回ってそれぞれを確認した。
千年の歴史に浸るつもりでやってきたが、冷雨が降りしきる中では寒くて長居は出来ない。
再び苔むした石段をゆっくり降りて山門を出た。
<化け猫伝説について>
読売新聞の西山日光寺の連載記事「伝説の里から」
恩返し(3)・恩返し(4)
この伝説には深い意味を感じる。(深い慈悲をかければ悪さをした猫も恩返しするという意味が込められているのかもしれない)
旧参道を示す道標は藪に埋もれていた | 金剛力士像・阿形像 | 薬師堂に彫られた十二支の寅の彫刻 |