沼ノ峠山

2005年4月30日、単独

コースタイム
6:32上田ダム発-6:53湧き水のある笹原-7:18標高580m付近-8:18国土山避難小屋-8:25国土山分岐着8:35発-8:55柴倉分岐-11:00沼ノ峠山着11:40発-13:18柴倉分岐-13:35国土山分岐-13:43国土山避難小屋着13:58発-14:38標高580m付近-15:15上田ダム着

 旧上川村(現阿賀町)には標高は低いが個性的な山が多い。緑色凝灰岩というもろい岩で山が出来ているためか、山肌が雪で削られて山の頂は緩やかな稜線なのに、スラブや奇岩があちらこちらで見られる。
 2万5千図「安座」を見ると県境稜線上に東側に壮絶なスラブを持つ山を見つけることが出来る。沼ノ峠山だ。
 山名の峠の文字も気になるところだ。
 峠には必ず歴史がある。沼ノ峠山そのものに峠が存在したかは不明であるが、その東方に沼越峠があり、現在も送電線の巡視路が通っている。壮絶なスラブと人が行きかった峠の存在、気になる山だ。
 井戸小屋山や御前ガ遊窟に登ったときにこの山は眼にしているが、東側のスラブは見たことがない。そう思うと俄然行って見たくなる。そう思いながら月日が過ぎた。

 午前4時に新潟市の自宅を出発、明るくなるのが早くなってきた。
 金山町に入ってまもなく上田発電所の標識があり導かれるままにダムの堰堤を対岸に渡った。ダムサイトの桜は七分咲き、ダムの水路を流れ落ちる大量の水の爆音が辺りに轟いている。車を突き当たりの土の部分にとめた。
 天気は快晴気温も低くない。絶好のコンディションだ。重登山靴にピッケルを持って歩き出した。
 まもなく北の湖(きたのこ)沢を渡る、立派な釣り橋が掛けられていた。この道は送電線の巡視路なのだ。沢を渡ると急な傾斜をジグザグと道は登っていく。プラスチック製の土止めで階段が作ってある。すぐに分岐になったが尾根に向かう左に進路をとった。
 標高380m付近は笹原になっていた。水の音がするので良く見ると道の脇に湧き水が湧いている。もしこの道が古くからの峠道であったとしたら、この水は旅人の喉を潤したことだろう。
 標高580mまで上がると雪原が現れた。ここから峠までは尾根幅も広く緩い登りなので雪の上の歩きになることは地形図から容易に想像できた。この部分だけでもスキーを使うことも考えたが、ここまで至る急登を担ぎ上げる労力を考えて今回はスキーを持ってきていない。送電線の下は広く刈り払われているので、山スキーを楽しむにもいいところかもしれない。
 この地点に大量のゴミを見つけた。一般登山道脇にはこのようなゴミを見ることは少なくなったが、このように仕事道にはゴミを目にすることが多い。悲しいことだ。
 緩やかな尾根道を登っていく。送電線の下の伐採地は雪面からの照り返しがきつく、ブナ林の中を進んでいった。雪は硬く全くもぐらない。
 765m地点を過ぎると小屋が現れた。高床式2階建ての立派な小屋だ。標札には「国土山避難小屋」とかかれてあった。しかし、扉は硬く閉ざし窓には鉄格子がはめられてあり、厳重に中に入れないようにしてある。送電線の巡視員専用の施設なのだろう。
 まもなく県境稜線に上がった、右へ行けば国土山である。石の祠が祭ってあった。白く輝く飯豊連峰がまぶしく輝いている。
 県境手前からようやく目指す沼ノ峠山が見え始める。東壁のスラブはまだ多くの雪が貼り付いてた。
 ここからわずかで国土山であるが、この日は沼ノ峠山を目指している。国土山のピークハントは沼ノ峠山から戻って時間と気力次第ということにした。

 地形図に示されている沼越峠(鉾峠)は吊り尾根になっている。両側を険しい谷が突き上げているので、昔の旅人が峠としていたところは先ほどの祠のあるピークだろう。
 峠西側のピークに上がると谷を挟んで反対側に八人岩と呼ばれる奇岩が目に飛び込んできた。八人の人が並んでいるようにも見える岩だ。
 巡視路は柴倉に向かって伸びている。整備された道とはここでお別れだ。スギの藪に分け入るがなんとなく薄い踏み跡がある。
 沼ノ峠山東壁スラブを正面に見つつ、八人岩の奇岩を右に見つつ進んでいった。踏み跡はやがて消えた。
 748m手前付近から残雪を利用して歩けるところが増えてきた。稜線は地面すれすれに枝を伸ばした杉やハイマツのように幹が曲がった五葉松が続き歩きにくいので雪の存在は助かる。だが、それはわずかな間でしかなかった。
 尾根が痩せてくると残雪はほとんど無くなった。痩せ尾根の上では杉や松が行く手を阻む、その上シャクナゲまで現れれる場面もあった。もがき苦しみながら前へ進むがなかなか進まない。
 突然切れ落ちた岩の上に出た。懸垂下降をしようかと覗き込む、高差は5mか、しかし、懸垂下降は安全に降りれるが、クライムダウンできるところをまず探してから通過すべきと考えを改めた。左手のルンゼを潅木に捉まりながら下り、岩の基部をトラバースした。岩はもろくしっかり足場に立たないと危険な岩場だった。
 枝尾根が分かれるピークに上がるとようやく雪の道となった。ここから沼ノ峠山直下まではブナの原生林の中の広い尾根道だ。
 山頂直下だけ雪が途切れ藪に入るが、そこには立派な踏み跡があった。なぜこの部分にだけ踏み跡があるのか?
 枝振りのいい天然杉をやり過ごすとひょっこり山頂に出た。
 スラブのある東側の展望が広がる。飯豊連峰、吾妻連峰、磐梯山、博士山、志津倉山、そして、遠くに会津駒ケ岳まで見えた。
 山頂西側にはちょっとした窪地があった。雪が溶ければ池が現れそうな雰囲気だ。
 雪で冷したビールで喉を潤し、昼食を摂ってほっとする。藪こぎで傷だらけになった両腕が痛み出す。

 藪道の下山は登りと時間は変わらない。雪崩の爆音がひっきりなしに響き渡っている。
 巡視路に戻るとほっとした。整備された道のありがたさが良く分かる。
 国土山は時間的には行ってこれるが気力が萎えてしまい今回はパスした。
 残雪の広く緩い尾根道を下っていく。気温が上がり遠くの山は見えなくなった。
 笹原に湧いている清水で喉を潤す。冷たくて美味しい。
 急な坂道を下りきり、北の湖沢の橋を渡り上田ダムサイトに戻ってきた。
 朝七分咲きだった桜が満開になっていた。

 会越の山は個性的な山が揃っている。沼ノ峠山もそんな山だった。

八人岩 沼越峠手前より見た沼ノ峠山と菅倉山 沼ノ峠山より見た白い飯豊連峰

※豊栄山岳会の名誉会員であられる羽賀一蔵氏著の「越後佐渡の峠を歩く」に沼越峠の記述がありましたので、以下抜粋して掲載します。

沼越峠(鉾峠)

 避難小屋(注)で一息入れていると、下から中年の男の人が上がってきた。柴倉集落の者だという。
 キノコはまだ早いとか、熊の話だとか、マムシを捕まえてきたとか、峠はまだ遠いとか、人なつこく語り、これからの道を教えて彼は去った。
 この人の話によれば、そもそもこの峠は旧会津のもので、古くは「鉾峠」と呼ばれたこともあったのだが、会津の大沼郡・河沼郡へ越す峠だから、今は「沼越峠」と言うのだという。なるほど、国土地理院の地図に「沼越(鉾)峠」とあるのはそういう訳であったのかと納得した。
 昔只見川・阿賀野川を材木筏を津川まで流し下り、その上乗りの人たちが、只見へ帰るときに使った峠道であったのだ、という話もしてくれた。
 大変な峠越えだ。昔の人というものは偉いものだ。
 ところで、この峠は今や全く生活のために使われることがなくなった。それでも、東北電力で高圧送電線と鉄塔を守るため、鉄塔から鉄塔伝いに道を確保し、刈払いもしているのだと聞いた。大変なことだ。全く人跡絶えた山の中、岩だらけの崖に続く道、おまけに尾根から谷に何百メートルも下り、また何百メートルも這い登り、それからまたダムのある会津の上田発電所へ下る。その送電線保守にあたるなんて。
 そういう人たちがいるんだなあと、ほとんどあきれるくらい感心し、そうした縁の下の力持ちがいるから世の中が動いているんだと、ここで改めて実感した。俺の遊び事と違うのだと、いささか気持ちがひきしまるのを憶えた。

(注)山行報告に掲載した避難小屋とは別に、越後側にも避難小屋があるようだ。

峠の祠 
上に送電線が走り、遠くに飯豊の山々が輝いて見える。

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