広谷川支流
らくだの窓沢

御神楽岳

事故報告

2006年10月15日、吉田、中山

時間記録
6:20登山口出発-7:03湯沢出合-7:22らくだの窓沢出合着7:37発-10:30頃滑落した滝着-11:15滑落事故発生-11:45中山救助を求め下山開始-13:35中山 広谷川に下降した合図の笛の音が聞こえる。-15:50ヘリの音が聞こえる-16:15県警救助隊到着-16:35へりに収容され現場を後にする。-17:00頃津川河川敷公園に着陸、救急車に乗り換える-18:00頃新潟中央病院着

 安田ICで中山さんと合流して中山さんの車で御神楽岳蝉ケ平奥の登山口を目指す。
 登山口で他の登山者と言葉を交わして歩き出す。
 御神楽に入るときは山の神様に敬意を表して一礼してから入ることにしている。中山さんにそのことを伝えて、この日も一礼して歩き始めた。
 登山道を快適に歩いて湯沢出合で登山道と離れる。
 その先も踏み跡が続いているがヒグチ穴沢出合で広谷川の川原に降りた。
 少し開けてらくだの窓沢出合着。見上げると名前の由来にある二つの岩峰の間からスラブの斜面が下っている。
 昭和34年、らくだの窓沢下降中に遭難死した珊瑚氏の慰霊碑がここにあるはず。事前の情報どおり、広谷川左岸の岩壁にあった。しかし、プレートははがれてなくなっていた。

 靴をクライミングシューズに履き替えて登り始める。
 最初からなかなか厳しい。
 5mくらいの滝を登れず、私は左から小さく巻いた。中山さんは右から巻きに入ったがこれがなかなか沢床へ降りられず、彼はスラブの入り口まで藪の中を歩いていた。
 スラブの中の小滝が続く。すべてフリーで超えていき、一気に高度を稼いでいった。
 8mくらいのやや難しい滝を越えると傾斜がゆるくなり快適に登ることができた。
 過去の記録を見る40mくらいの滝を二つ越えれば傾斜は緩くなるはずだ。
 最初の40m滝は私はフリーで登り、中山さんを最後の登りだけ補助ロープで確保した。
 そして、最初の核心の40m滝だ。ここを超えれば快適なスラブ歩きのはずだ。
 まずは一段上のテラスに上がり、持ってきたロープを出した。

 セルフビレイ用にボルトを1本打ち、私がリードで登り始める。ロープは9mm×50mをダブルで使用。
 水流左の傾斜のゆるいところを登って途中で水流を横切り、最後は右壁を登る作戦に出た。ところが、最初の登りで4mくらい登ったところでズルっと落下。まだ支点を取っていなかったので下まで落ちた。岩が滑りやすくなっている。
 ルートを変更して左から大きく回りこむ作戦に出た。
 10mくらい登ったところのブッシュで最初の支点を取ると、その上に2箇所残置ハーケンを見つけた。もちろんそれを利用しようとあがるがなかなか厳しい。壁は垂直に近いうえ岩のフェースが大きくいいホールドがない。
 2個目の残置に支点を取った後、水流よりにトラバースした。しかし、このトラバースも悪く、厳しかった。
 2mくらいあがれば傾斜はゆるくなるように見えた。そこでボルトを1本打ち、シュリンゲを掛けてそれを足がかりにして登ってみた。
 ところが、ボルトの打ち込みが甘かったのか、ボルトが抜けた。しばらくはこらえていたが力尽きて落下。
 ロープで確保しているので落ちていても不安は無かったが、ザックの重さのためか頭が下になった状態で止まった。10mくらい落ちたと思う。
 中山さんにロープを徐々に緩めてもらってテラスに降りた。
 途中の岩に左足踵を強打したようだ。右足も擦り傷がある。
 もう登攀は無理だ諦めて下ろう。

 落下したショックはややあったが震えが無かったから意外と冷静だった。
 しかし、強打した左足は立つことができないくらいだ。テーピングしてもらい、握り飯を食って鎮痛剤を飲んだ。
 気持ちが落ち着いてから現状を判断。左足は強い打撲だと思うが骨をやられている危険性もある。歩行は無理だろう。救助を呼ぶしかない。時間はまだ早い。携帯掛けてみるがつながらないので、中山さんに単独で下山してもらい。救助を要請してもらう事にした。
 食料、水、防寒着を置いていってもらい。中山さんに2本のロープを預けた。彼は懸垂しながら降りていった。出合まで降りたら合図に笛を吹いてもらうことにした。
 

 時間を計算した。中山さんが出合まで降りるのに1時間、そこから登山口まで1時間、登山口から津川警察まで30分、救助のヘリ到着は早くて午後3時、遅ければ明朝か・・・・
 不自由な左足をかばっているうちに落ちないようロープで自分の体を確保した。
 落ちた滝を改めて見上げた。右から大きく高巻き気味に登るのが一番安全なように見えた。また来れるかな?
 無線機持ってこなかったことを悔やんだが、無線機があったところで、たまたま山頂で無線をしている人がいなければ、届かないだろう。
 笛の音が聞こえたのは下降開始から2時間近く経った時だった。改めて救助が来るまでの時間を逆算する。
 救助のヘリ到着は4時頃と判断した。あと約2時間半。
 周囲の写真を撮ったり、手帳に記録をつけたりしながら過ごした。5時を回っても来なかったらビバークの準備、食料はあるし水は滝の水がある。でも、ツェルトはあるが寒いだろう。
 3時半頃、いったん持ち物をザックにしまってすぐに救助されるように準備した。ツェルトは黄色で目立つので合図用に出しておいた。
 中山さんには今後頭が上がらないな。今までも世話になっているのに、また世話になってしまった。

 航空機の音が何度かするが、はるか上空を飛ぶ飛行機だった。寒くなってきたのでツェルトを体に巻きつけた。
 4時10分前、また航空機の音が聞こえた。今度は近い。よし!助かった。だがなかなかやってこない。遭難箇所を特定しやすくするために、印をつけた地形図を中山さんに託したのだが、どこ探しているのだ・・・・他に遭難者がいるのか?
 後で分かったことだが、警察の連絡ミスでヘリは栄太郎新道の登山道周辺を捜索していたらしい。
 4時15分、らくだの窓の岩峰の上からヘリが姿を見せた。日陰にいる私を見つけやすいように最初はストロボで合図した。その後、ツェルトを大きく振った。ヘリは分かったようで徐々に近づいてきた。
 こんな滝の途中のテラスにピンポイントで降りられるか不安だったが、パイロットの技術は素晴らしく、見事に私のいるすぐそばにレスキュー隊員が降りてきた。
 

 ヘリに吊り上げられている間らくだの窓のスラブを見ていた。滝はまだまだ上部にも続いており、まだまだ大変な登攀が必要だった。
 ヘリに収容され御神楽東壁のスラブを眺める、きれいな景色だ。
 窓から越後の山々を見下ろした。日が大きく傾き始めていた。
 レスキュー隊員にヘリの中でお礼を言った。彼は「仕事ですから」と照れていた。
 後で挨拶に伺うと約束した。
 津川の常滑川河川敷公園に着陸。警察官が待機していて簡単に状況を聞かれた。
 救急隊員の肩を借りて片足で歩いて救急車のそばのストレッチャーに横たわりそのまま救急車に乗り込んだ。
 地元の病院は受け入れられず、結局新潟中央病院まで運ばれることとなった。
 救急車の中から中山さんに連絡、感謝の意を伝え運び込まれる病院を伝えた。彼の車の中にあった荷物は後でとりに行くことにした。

 1時間ほどで新潟中央病院に到着。診断の結果、左足かかとの骨折だった。
 その後の再検査で手術が必要といわれ、入院することになった。
  

 自分の力量を過信していた。もっとゆっくりルートを見てから取り付けばよかった。後悔しても仕方が無い。
 でも、また山に登りたい。今回の事故を今後の人生に生かせるよう治療に専念したいと思います。

 

らくだの窓沢出合の慰霊碑ははがれていた。
滑落した滝。滑落現場は流れの左の垂壁部分。
下から見ると登れそうなのだが・・・
滑落箇所写真中央上部の垂壁。
残置ハーケンが利いていてグランドフォールはしなかった。
ヘリが来た。 レスキュー隊到着。
救助されるところ(県警航空隊よりいただいた写真)
らくだの窓沢スラブ。矢印の先に私がいます。
(県警航空隊よりいただいた写真)

救助を待っている間

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