天神山城址、松岳山城址
2008年11月24日、単独
天神山城は、石瀬と岩室温泉との境に聳えている海抜234mの堅固な山城で、中世の城郭跡が残っている。
来年の大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続の弟、大国実頼がこの城の最後の城主となった。
(現地の観光パンフレットより引用)
連休二日目、このところ降り続いていた雨も、昼間のうちなら降らない予報。急ぎの仕事が入るかもしれないが、ちょっとくらいなら出かけても大丈夫だろうと、前から気になっていた岩室の天神山城址に行ってみた。
丸小山公園の駐車場に車をとめて歩き出す。案内看板の横の箱にパンフレットが置いてあったので、いただいた。
最初は軽の四駆なら登っていけそうな道を登るが、すぐに上水道施設にあたり、そこからは山道となった。
真新しい標識が随所に建っている。大河ドラマゆかりの地になると、地元の力の入れようは違うものだ。
緩やかに登っていくと、やがて道はジグザグに登り、小さなピークを越えると、舗装された道路に出た。
車道を横切り案内図の脇から再び山道に入る。
まもなく、物見台に出た。
越後平野の展望が素晴らしい。平野を挟んで粟〜白山の稜線が見える。
土塁・石塁の標識を見ると、右手の森の中に瓢箪池が見えた。ちょっと寄り道してみる。
池は浅い水溜り程度のものだ。
元の道に戻って登っていく。
空壕をいくつか越えると、山頂に出た。山頂が。城の本丸だ
新しい大きな石碑が建っていた。裏を見ると今年の建立だ。
越後平野の展望が開けていた。木立の間から多宝山が見える。
多宝山中腹に大きな滝を見つけた。春になったら行ってみようと思う。
下山は往路を戻った。
瓢箪池にもう一度立ち寄った。
城の水の手になるこの池は、豊富な湧水がなければ多数の人が篭城できない。
池の奥に行ってみた。確かに水が湧き出ているが、それほど水量は多くない。
戦国の頃は、池の水深を深くして、もっと水を溜めていたのだろうと想像した。
池の裏の高台を登ったところが、武者溜り。ここが城の居住区だったようだ。
古い石碑があった。碑文を見ると、昭和18年建立とあった。戦時中だ。
天神山城に碑を建てることによって、地域住民の戦意鼓舞をもくろんだのだろうか?
元の道に戻って下山した。10人ほどの登山者にすれ違った。多くは、天神山経由で多宝山に登るのだろう。
天神山山中では、戦国の頃に思いをはせ、城の跡形を求めて、あちこち見て歩いた。
一旦丸小山公園に戻ってから、松岳山城址に向かった。
天神山城址から縦走する道もあるようだが、私は一旦下山してから登る道を選んだ。
公園の近くに良寛田中の松の看板を見つけ、その松がある丘に登った。
何が書いてあるか分からない碑の後ろに松があったが、良寛の時代からある松とはとても思えない若い松だ。この松に何か意味でもあるのだろうか?
岩室温泉から見ると、きれいな三角形をした姿の小山が見える。それが松岳山だ。私は心の中で「おにぎり山」と呼んでいた。
天神山城の支城としての位置づけられた城のようだ。
岩室温泉神社横に、松岳城址へ続く登山道の看板があった。
せっかくだから、神社に参拝して登っていった。
おにぎりの山腹をジグザグに道が登っていく。
中段腰曲輪跡を通過し、15分ほどで山頂に着いた。
漢詩の石碑があった。
木立の間から岩室の温泉街が見下ろせる。
戦国の昔に思いをはせながらのハイキング、たまにはこういうのもいいと思った。
瓢箪池。城の水源だった。 池の奥から水が湧き出ていた。 |
山頂に位置する本丸跡。新しい石碑が建つ。 | 本丸から見た多宝山。 |
武者溜り。城の居住区だった。 | おにぎりの形の「松岳山」を温泉街から見上げる。 | 岩室温泉神社。松岳山にはここから登る。 |