越後駒ケ岳

1997年9月6日〜7日、単独

  信濃川の支流の魚野川のそのまた支流の水無川の源流を三角形に三つの山が
囲んでいる。
  駒ケ岳、中ノ岳、八海山である。この三山を越後三山または魚沼三山と呼ぶ。
  深田久弥の日本百名山はこの三山を代表して駒ヶ岳を百名山に選んでいる。
その理由はこの山が一番立派だからだという。
  一等三角点もこの山に置かれている。 
  この日は午前中仕事の為、午後からの山旅となった。
  13時頃、枝折峠に着いた。
  明神峠、道行山と緩いアップダウンを繰り返しながら進んでいく。
  小倉山で駒の湯からの道と合流した。行く手には目指す駒ケ岳が時折雲に隠
れながらその姿を見せていた。左手には荒沢岳、振りかえると未丈ガ岳や守門
岳がみえる、とても展望の良い道だ。
  百草の池辺りから道は急な登りになり始めた。
  16時30分頃、今夜の宿の駒の小屋に着いた。山頂は濃いガスで覆われていた。
山頂に立つのは翌日に回して私は小屋に入った。

  二日め。夜明けとともに歩き出した。そして、5時30分、一等三角点の有る駒
ケ岳山頂に立った。
  相変わらず濃いガスの中である。しかし、風が強く時折風がガスを吹き飛ばし
たとき八海山や中ノ岳、巻機山が顔を出した。但し、それ以上遠くの山は見るこ
とが出来なかった。
  駒の小屋に戻り、山頂のガスが晴れるのを待ったが、7時30分、諦めて下山し
た。
  また登りたい山だ、そして、いつかは三山を縦走したいと思う。

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