1997年9月21日、単独
村松町と三川村、下田村の境に位置する川内山塊は、標高の割にはアプロー チが長い山が多く、一般の登山者からは敬遠されがちな山々の集まりである。 しかし、そんな山塊にまるで日本を代表するような立派な名前が付いた山が 有る。 日本平山である。日本の中央から遠く離れたこの地の山に何故このような山 名が付いたのか興味をそそる所である。 この日の朝6時、三川村の自然の森より登り始めた。登山道は最初のうち自 然の森の遊歩道のような雰囲気も有る。 まずは、前衛のピーク人分山の登りから始まる。 森林の中を進み、しばらくして人分山に着いた。人分山の道標は大村杉と書 かれてあった。 一旦下り人分の鞍部で谷沢からの道と合流し、緩やかな尾根の山腹の道を登 っていった。 人分の鞍部よりは全く道標が無くなった。そして、森林の中を進む為、現在 地がわかりにくい。 登山口より2時間半程で大池に着いた。ガイドブックには浮島に乗れると書い てあったが何処から乗ればいいのか。 大池から先は草薮が道を覆い始めた。 大池から30分ほどで道端に清水が湧いていた。岩の割れ目から出る冷たい清水 だ。 9時30分山頂に着いた。一等三角点のある山頂だ。誰もいなかった。山頂から の眺望は薮が邪魔をして見えないが、何故かビールケースが置かれてありそこに 乗って背伸びをすると眺望が開けた。 40分ほど山頂に居たが誰も登ってこなかった。 下山は往路を引き返した。途中5人にすれ違っただけだった。 下山途中人分山の三角点によってみた。そちらからの眺望の方が山頂より開け て見えた。 下山した頃、自然の森は多くの家族連れで賑わっていた。