木六山、銀次郎山

1998年5月4日〜5日、単独

  コースタイム
1日め
5:43釜の鍔登山口発 − 6:10 分岐点通過 − 7:17 グシノ峰着 7:30発 −
8:25 木六山着 8:45発 − 10:10 七郎平山着 11:00発 − 11:45 銀次郎山
着 12:00 発 − 12:20 銀太郎手前の鞍部にて引き返す − 14:00 七郎平山
(泊)
2日め
5:35 七郎平山発 − 7:25 木六山着 7:45 発 − 8:50 グシノ峰着 9:00発
10:33分岐点通過 − 11:07 釜の鍔登山口着

  せっかくのゴールデンウィークだというのに風邪を引いてしまった。5月2日、
3日と38度以上の高熱を出し実家で寝込んでいた。本来なら5月3日に川内山塊の
五剣谷岳を目指して出発する予定だったが、丁度3日が悪天候という事も有り、
3日の日は見送り、4日に体調が回復すれば出かける事にした。
  4日早朝目を覚まし、体温を測る。平熱に戻っていた。出かける事にした。
  釜の鍔の部落は杉川チャレンジランドと称するキャンプ場になっていた。以
前会社の仲間と杉川の川原でバーベキューをした事が有り、その時はこの釜の
鍔の豪農の家にお邪魔してその庭園を見せてもらった事が有った。しかし、今
はその家は人が住んでいる様子はなく、見物用に開放されているようだった。
  チャレンジランドからは未舗装の道になり、すぐに行き止まりになった。こ
こが登山口だ。
  木六山へはグシノ峰経由の道と、水無平経由の道があるが、ガイドブックに
紹介されているグシノ峰経由の道を辿る事にした。
  テントや寝袋の入ったザックが肩にのしかかっていた。
  堰堤の見張り小屋を過ぎ、逢塞へ行く道との分岐を過ぎると、急登が始まった。
ゆっくりゆっくり登っていく。
  555mのピークの巻道に、上から水がたらたら落ちてくる所が有り、そこに木で
はしごが架かっている。その水をコップで受け止めのどを潤した。
  尾根を越えへつり道を歩きグシノ峰の細長いピークにに出た。木六山は正面に
見える。
  一旦下って登り返し最後の急登を登ると木六山に着いた。体調が今一つ良くな
い。風邪は治りきっていない様だ。
  進路を南に取った、赤花峰の上り下りはきつかった。所々小さい雪渓が残って
おり雪渓の出口を探すのに少し苦労した。
  急な登りを登りきると七郎平の泊り場に着いた。もと炭焼き小屋が有ったと聞
いている。平ないい泊り場だ。水場の水は豊富な沢水だ。
  ここでテントを張った。風邪のためか体調が良くない。ここで引き返すか、し
かし、せっかく来たのだ、いろいろ思案したが、結局銀次郎へ向かって歩き出し
た。
  荷物はごく最小限に小さいザックにまとめた。
  天気はいいが時折小さい雲が銀次郎や銀太郎の山頂を隠す。
  銀次郎に着いたときは足にかなり疲れが来ていた。以前スキーで痛めた左膝に
不安感があった。
  とりあえず銀太郎目指して歩き出した。その下り坂で左膝に激痛が走った。
  せめて銀太郎まででも行きたい。足をマッサージして歩き出すが、激痛は引か
ない。最低鞍部でしばらく座り込んだ。マッサージしても痛みは引かない。
  こんな誰も来ない山で動けなくなっても誰も助けに来てはくれない。戻る決意
をした。銀太郎は目の前に見えている。普通に歩けば20分位で着くだろう。しか
し、戻れるうちに戻ろう。
  登りはたいして足は痛まないが、下りが痛んだ。痛みの無い右足に余計な負担
がかかる。
  七郎平の泊り場に戻って一晩ゆっくり休む事にした。七郎平には1パーティー
休んでいた。彼らは日帰りの予定で来たそうだ。その日の泊り場の泊りは私一人
だった。
  湿布薬を患部に貼ってテントでラジオを聞きながら過ごした。
  夜はあまり熟睡できなかった。
  翌朝、夜明けとともに起きた。足は痛いままだ。しかし、何とか下山しなけれ
ばならない。
  重い荷を担いでゆっくり下山した。木六山からの下りではゴールデンウィーク
最後の好天気の日らしく、多くの登山者にすれ違った。登りよりも遅いペースで
ゆっくりと休みながら下ってていった。
  下山後、しばらくすると痛みは取れた。村松のさくらんど温泉で汗を流して帰
宅した。振り返ると、木六山から五剣谷岳の稜線が私を見送っているように見え
た。
  いつかまた五剣谷岳に行く事を胸に誓った。

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