1998年11月29日、単独
6時45分、村杉の奥の五頭高原スキー場入口の駐車場脇からの登山口を出発。 道はすぐにジグザグになって尾根に向かって登っていった。 夏の水害の影響だろうか、大きく山肌が崩れている所が一個所あったが、水害後多数 の人が歩いたのだろう、すでに足の踏み場が出来ていた。 15分ほどで村杉から登ってくる道と合流、その後まもなく、大日からの道と合流 した。大日からの道は立ち入り禁止になっていた。 菱見平で菱が岳の山頂が見えた。麓から見たときは雪はほとんど無いように見えた が、ここで見ると真っ白である。わかんもスパッツもストックも置いてきていた。何 とかなると思い歩き出す。 標高500メートル付近からは登山道を雪が覆うようになってきた。私のゴム長靴で も大丈夫だった。 標高600メートルを過ぎ尾根の北側に道がトラバースしているあたりから長靴の中 に時折雪が入り始めた。 笹清水の標識の所で雨具のズボンをはいた。スパッツは忘れてきたのでズボンの裾を 絞めて雪が入らないようにした。 雪の量はだんだん多くなり、膝くらいになっていた。わかんが欲しくなるがわかんは 車の中、頑張って歩くしかない。 鉈目が多いので道に迷う事はないが、道が深く抉れているのだろう。道の中央を歩く と深くもぐるため、道のヘリを歩くようになる。 最後の急登は時折四つんばいになって登った。急なため膝くらいの雪も腰までのラッ セルが必要な所がある、四つん這いになれば体重が分散されて雪にもぐらない。 9時15分、山頂に着いた。といっても最高地点は隣のピークだ。しかし、豊栄中央 公民館に講演の準備のため11時に集合がかかっている。ゆっくりはしていられない。 最高地点のピークはまた別の機会に登る事にして、すぐ下山を開始した。 期待していた飯豊山は雲に隠れて見えなかったが、越後平野の眺めなどが良く見え た。雪の頂には私の足跡しかない。 下山途中で熊の足跡を見た。まだ新しいのでこの朝の物だろう。登山道を横断してい た。 11時丁度に登山口まで下りてきた。すぐに着替えて豊栄中央公民館に着いたとき は、11時30分だった。講演の準備はもう終わっていた。 しかし、下山後飯豊山を覆っていた雲は無くなり素晴らしい飯豊の展望を見る事が出 来た。