白山

1999年4月11日、単独

コースタイム
4:50 新潟市内野の実家発=6:05 登山口着 6:10  発−6:37 三合目
着 6:40 発−7:08 七合目着 7:12 発−7:35 山頂着 7:50 発−
8:30 三合目着 8:35 発−8:55登山口着 その後私用で長岡へ

   白山は新潟市より見ると粟ケ岳の左にドーム形の稜線が見える山だが、村松町よ
り見ると、見上げるようにどっしりと堂々とした山容を見せている。
   標高は1000mをわずかに越え、新潟県下越地区では人気の山である。
   この日は午後から長岡に私用で行かねばならなかったので、半日で登ってその後
に長岡へ移動できる山として白山を選んだ。
  前日実家に帰っていたので実家よりの出発となった。
  まだ夜が明けない4時50分に実家を出発。
   新潟バイパスを走り亀田バイパス、新津バイパスと進み、新津、五泉を過ぎ五泉
より広域農道経由で登山口の慈光寺に向かった。
  滝谷川沿いの道なってまもなく、広い駐車場が有った。ここが慈光寺かと思い車か
ら降りるが寺は見えず、そう言えば数年前に物産館がオープンしたことを思い出し、
ここがそれと分かった。
  道はまだ奥へ伸びているので再び車に乗って走り出す。
  車道の両側はみごとな杉並木で、所々に御地蔵様が有り、また、墓所があり、寺域
に入ったことを思わせた。
  すぐに慈光寺の前に着いた。一旦降りるがまだ林道は奥へ伸びている。いける所ま
で行こうと車に乗るが、100mほど奥の地点で車を置いた。
  いつものスパイク長靴をはいて林道を歩き出した。林道終点部分で田村線を左に分
けて、尾根線を登るべく川沿いの道を進んだ。
まもなく川から別れて急な登りが始まった。
  ぐんぐん高度をあげていき谷の間から越後平野が見え始めた。
  462mピークの三合目で尾根上に出た。可愛い花が道沿いに咲いていた。花の名
前が分からないので写真に取り後で調べることにした。
  この辺りは二重山稜になっていて、窪地には残雪が溜まっていた。
  五合目付近から所々登山道上を雪が覆うようになり、七合目を過ぎると完全に雪の
上の歩きに変わった。
  七合目から小雨だが雨が降り出し、その上、東から強風が吹き始めた。風除けにも
なるので雨具の上着だけを着て歩いた。
  雪の上の足跡ははっきりしていて、迷うことはない。
  7時35分、広い山頂に着いた。
  近くに粟ケ岳が雄々しい姿を見せ、越後平野の向こうに、弥彦山、角田山、そし
て、その向こうには、日本海に浮かぶ佐渡の山々が見えていた。しかし、菅名や他の
川内の山々は雲がかかって見えなかった。
  避難小屋にはいってお湯を沸かしお茶を飲んだ。昼食にはまだ早いし腹も減ってい
ないので持ってきたラーメンには手をつけなかった。
避難小屋は飯豊連峰の杁差岳の避難小屋と同じ形のものでとてもきれいだ。
  下山は田村線経由の予定だったが、強風の風上方向なのでかなり下まで強風にさら
されると思い、往路を下山することにした。
五合目付近で一人の人にすれ違ったが、それまで全く誰とも会わない、時間が早いせ
いだろう。
  しかし、三合目で10人のパーティーに合ってからは、登山口までなかなか進めない
くらいの大勢の人にすれ違った。100人以上はいるだろう。
  そして、その中に先日弥彦山塊を一緒に縦走した。川村さんに会った。
  会うといきなり「鍋かして」ときた。鍋を車の中に忘れたという。ラーメンを持っ
てきたのに鍋が無くてどうしようと思っていたらしい。
  川村さんは奥さんともう一人の男性と3人連れだった。
  私の持っていたコッヘルを貸して数日後に店に取りに行くことにした。
  8時55分、予定よりかなり早く登山口に戻ってきた。
  人の沢山行く山を避けてきたが、朝早く行けば静かな山を楽しむことが出来る事を
実感した山行だった。

新潟県下越の山の目次へ戻る

ホームへ戻る

inserted by FC2 system