御神楽岳

1999年5月3日、単独

コースタイム
2:40 新潟市の実家発=49号経由=4:36 上川村室谷登山口着4:45 発
−6:15 水場着 6:20 水場発−6:47 大森着 6:55 大森発
−7:36 御神楽岳山頂着 8:15 発−8:40 大森着 8:45 発
−8:57 水場着 9:00 発−10:06 登山口着 10:40 発=12:30豊栄着

 御神楽岳は会越国境の名山である。
 その堂々たる山容、山頂からの展望、歴史、山名からして百名山の風格を備えてい
ると思うが、日本百名山の著者深田久弥は登っておらず、深田クラブの日本二百名山
に選ばれている。
 御神楽岳の東隣に笠倉山という尖ったピークがある、私は御神楽岳経由で笠倉
山まで行くつもりだったが、4日前に川内山塊の五剣谷岳に行った疲れがまだ少々
残っており、御神楽岳で引き返してきた。
  深夜2時40分、新潟市五十嵐の実家を出発。高速を使わずに一般道で登山口を目指
す。
  上川村室谷の登山口に着く頃はあたりはすっかり明るくなっていた。
  登山口には4台ほど停められる駐車スペースが有った。昨年も5月に登っているが、
その時にはこの駐車場は無かった。
  道はぶなや楢の新緑の中を進む、瀬戸沢のせせらぎの音が気持ち良い。
  今回の山行の目的の一つとして、5月16日に鈴木眞さんとオリンが平へ行くことに
なっている。その下見も兼ねていた。
  笠倉山まで行くつもりだったが、歩き出してすぐ4日前に登った五剣谷岳の疲労感
が足に残っていることに気づき、御神楽岳本峰にて引き返すことに目標を変更した。
  しばらくすると沢から道は離れつづら折り状に登っていく。この途中に坂が緩やか
になる所が有り、そこからオリンが平へ向かう方向への分岐点になるはずと思い、注
意深く周囲を見ていたがよく分からなかった。高度計の調子も今一つ正確さを欠いて
いるようだ。
  710m付近で小尾根を越す所が有る。そこで高度計の高度を調整しオリンが平の目印
になる700mの平頂のピークを発見した。ピークは杉が生い茂っていた。
  湿地帯を越え、一旦尾根状の地形の所に出るが、尾根の形状はすぐに無くなり、ス
キー場にしたら良いくらいの尾根も谷も無いような斜面の登りになった。この辺りか
ら夏道は姿を消し、雪の上の歩行になる。
   地形が尾根も谷も無いような形なので、オレンジ布を所々に付け下山の目印とし
た。
   水場の標識のある沢は雪で埋もれ、やや下流にスノーブリッジから流れ出た沢水
が勢いよく流れ出していた。
   そこからは再び尾根も谷も無い斜面の登りが続く、オレンジ布は要所要所に付け
た。
   大森の看板のある所で、稜線に出た。ここは、地図上の大森よりも高い所だ。
   そこからは尾根の形状がはっきりしているので布を付けることは止めた。
   山頂手前の雨乞峰は南側をトラバースした。斜面が緩いのでトラバースしても危
険は感じなかった。
   少しの急登で山頂に着いた。山頂には御神楽岳頂上と彫られた石碑が有った。昨
年登ったときはこんなの無かった。
   天候が曇っている為か遠くの山は見えない、すぐ近くの山だけの展望だった。川
内の山々は良く見え、先日登った五剣谷岳はその特徴ある姿ですぐに分かった。
   ザックを降ろして笠倉山までの尾根が見える所まで行った。
  尾根上には杉の木が多くはえていて、杉の薮こぎが大変そうだった。
  一人乾杯して、往路を下山した。
  710mの小尾根を越す所で、もう一度オリンが平のルートを見た。
  そこから少し下った所に御神楽岳まで3:00分の看板が有り、そこから80゜の
方向に700mのピークが見え、オリンが平へ行くにはその南側の鞍部を行けば良い
のだが、その鞍部も確認できた。
  もちろん道など無いが、ぶなや楢や杉の混成林でまだ5月中旬なら下草も伸びてい
ないだろうから大した薮こぎにはならないだろう。それに割と近そうだ。
  オリンが平は登山道の雪の状況から考えてまだ雪の下だろう。行くのは16日までの
楽しみにとっておいて、今日は下山することにした。
  午前10時過ぎに早々と登山口に帰ってきた。
  ここでラーメンを作っている間に3人ほど登っていったが、時間からして山菜取り
だろう。山中では誰にも会わなかった。
  笠倉山へは福島県側から秋になったら登ることにしよう。
  それにしても16日のオリンが平行きが楽しみだ。

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