八十里越


後編

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コースタイム
4:17吉ケ平発−5:20椿尾根着5:33発−6:15番屋峠着6:25発−7
:20ブナ沢着7:31発−8:15殿様清水着8:30発−8:59鞍掛峠着9:
10発−10:00田代平着10:10発−10:45木の根峠(八十里峠)着11
:20発−11:58松ケ崎着12:10発−13:50大麻平(林道合流点)着1
4:05発−15:05林道ゲート着=只見町温泉保養センター=入広瀬=栃尾=1
7:45吉ケ平着=19:30豊栄着

早朝3時半頃起床、蚊などの虫達の為に度々目を覚ましあまりよく眠れない夜だっ
た。
空は薄雲の上に月でも出ているのだろうか、空がしらじらとしていた。
4時17分、いざ八十里越に足を踏み入れる。
最初は幅の広い道ですぐに一列でないと通れない幅になる。
馬場跡で雨生池への道を分けるとすぐに草薮になった。詞場という場所があった。
昔、詞でも詠んだのだろうか。
薮も道標があるところは刈られていた。
会田さん、鈴木さん、吉田の順で歩いていたが、先頭の会田さんは半袖姿。道が薮化
しているという情報は彼が仕入れてきたが、薮を甘く見ている様子だった。私と鈴木
さんは薮を覚悟して長袖姿だ。
暗闇の中の薮こぎで会田さんは所々道を見失いそうになり、先頭を鈴木さんに変わっ
てもらった。とにかく足元の踏み跡をしっかり見なくてはならない。

椿尾根に着いた時はあたりはうっすらと明るくなっていた。そこには自然石を模した
標石があり、この標石は要所要所に設置してあり現在地を知る良い手がかりになっ
た。
しかし、予想以上の薮に少々疲れ気味だ。鈴木さんは立ち上がって吉ケ平の車が見え
ると言っているが、立ち上がるのも面倒だ。
周囲の山々はガスがかかってみることが出来ない。きっと守門や烏帽子の姿が見える
場所なのだろう。
そこから先は道は刈り払われていてかなり歩きやすくなった。そして、馬も通った旧
街道らしく山を削って広く道は作られている。しかし、沢を横切るところは深く抉れ
ている。
横切る沢が多く水場は全く困らない。
道中に山の神の祠があった。全員で柏手を打って手を合わせた。

番屋峠手前に里が見える場所があり、そこで河井継之助は「八十里こし抜け武士の越
す峠」とつぶやいたといわれている。
私たちは歩くのに夢中でその場所がどこか分からずに通り過ぎてしまった。しかし、
戦いに敗れてこの長い峠を歩く時どういう心境になるのだろう、きっとみな無言で歩
きつづけるのだろう。
番屋峠手前までは左側の山腹に道は付けられていたが、番屋峠より右側の山腹の道へ
と変わった。番屋峠付近にかつて番屋(関所)が設けられていたという。峠の手前に
山が削られた跡が有るがそこだろうか。

火薬跡という、道を作る為に岩を火薬で吹き飛ばした跡の標識が有ったが、何処に火
薬の跡が見えるのか分からなかった。
道は緩やかに下り始めた。周辺は気持ちの良いぶなの林だ。名前の分からない山々が
見渡せるが時々ガスに隠れた。


ブナ沢が近ずくと旧道は大きくカーブしてジグザグに下っていくが、現在の道はそれ
をショートカットしながら下って行く、物資を馬などで運んだ道と、現在のトレッキ
ングの感覚の道では道の作り方が違ってくる。
ブナ沢は思ったより小さい沢だった。雨の後の増水時に徒渉注意と事前の情報で得て
いたが、4−5歩飛び石を踏むだけで簡単に徒渉できた。ここから再び緩い登りにな
る、雨がぱらつき始めたが、すぐに止むだろうと雨具は付けないで歩き出した。

しばらくして高清水沢を渡るが、この沢はゴーロ状になっており、岩のペンキや対岸
の赤布を頼りに渡った。
そこからまもなく空堀茶屋跡に着いた。近くに沢水を得られる茶屋を置くには良い場
所だ。
焚き火の跡が有り、誰か幕営したのだろう。
その先すぐで丸倉方面からの道と合流した。ここから先は国道289号線である。
八十里越も核心部だけ歩くのであればこのルートから入った方が距離が短くて済む、
しかし、私は吉ケ平から歩くことにこだわった。

道が大きく曲るところに殿様清水の標識が有った。
長岡城の一回目の落城の時、長岡の殿様は先に八十里越を越えて会津へ逃れている。
その時この清水を飲んでとても美味しいと言ったという。
清水は岩の下から湧き出している、早速飲んでみた。
とにかく旨い、みな口々にうなった。殿様が誉めるのも納得できる。私はそれまで
入っていた水筒の水を捨ててこの清水に入れ替えた。

歩き出すと雨が降り出し雨具を着用した。
そこから先は道は草付きの斜面につけられていて少々歩きづらい(他の山では普通の
道だが)短い急登を登ると八十里越の最高点、鞍掛峠に着いた。ここは全行程の中間
点でもある。
ここで多くの旅人が馬の鞍を掛け直したことからこの名前があるそうだ。
河井継之助一行はこの付近に泊まったというが峠は広くならされており、かつては茶
屋があったのだろうか。
周囲はガスの為景色は望めなかった。雨は一旦小雨になるが、再び強く降り出した。

雨はその後一旦上がったが、田代平分岐に着く頃は雨具無しでは歩けなくなってい
た。
田代平分岐から田代平に入る、うねうねと続く八十里越に色を添えるような存在のこ
の湿原には木道の遊歩道が整備してあった。
しかし、時期的に花は何もなく、雨も激しいことから少々歩いただけで樹林帯に戻っ
て小休止とした。

まもなく五味沢から続く林道に出た。軽ワゴンが一台止まっていた。この林道は一般
車通行止めだ。
林道を少し歩き再び山道へ入り、県境の八十里峠(木の根峠)へ向かった。

道は緩やかに下りにながら、県境の木の根峠に着いた。
ここで昼食とした。雨が激しい為、鈴木さん持参の小さいターフを張って食事にし
た。
ここから先は会津、河井継之助が通ったときはここに茶屋があった。継之助はここで
いつまでも越後の山々を眺めていたという。故郷越後には二度と帰ることが出来ない
ことを彼は知っていたのだろう。
我々は雨が激しく景色はガスの為望めなかった。

会津に入るとそれまであった石の標石は無くなった。
木の根峠からは明治27年に整備された道で、江戸時代に利用された道はこの道より
南の方向に分かれ沼の平で現在の浅草岳登山道に合流している。その沼の平には長岡
藩軍が大砲を落としたと言い伝えられている沼があるそうだ。

何故か松が生えている松ケ崎で小休止、雨も止んだので雨具を脱いだ。
名前の知らない山々が眼前に広がり出した。

道標かがない樹林帯、現在地が何処か分からない。途中で地図を出して確認するが、
福島県側にも新潟県側のような道標が欲しいと思った。
足に疲れがたまり始めた。下りも長い。

大麻平で建設中の林道に出た。ここは国道289号の八十里越の新道になる、随分前
から工事をしていたと思うが、いつ貫通するのだろうか。
この新道が出来れば新潟から南会津へ抜ける最短コースになるはずだ。
この新道が出来ると八十里越を歩く人は増えるだろうか減るだろうか。

最後の林道歩きは長かった。しかし、ゴールが近いと思うと自然と歩速は速くなる。
正面に見える平石山から左に落ちる尾根の部分が林道のゲートと地図で確認する。
一時間の林道歩きで林道のゲートに着いた。
28km11時間の長い行程はここでゴールイン。充実感で一杯になった。

只見町温泉保養センターで汗を流し、会田さんの車で吉ケ平へ移動しそこで解散と
なった。

鞍掛峠で

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