御前ケ遊窟、井戸小屋山

1999年11月23日、単独

コースタイム
5:15豊栄発=6:45登山口着7:05発−7:22ソーケエ新道分岐点通過−
8:07シジミ沢出合着8:12発−8:55御前ケ遊窟着9:00発−9:13山
頂着9:22発−9:38井戸小屋山着9:58発−10:18御前ケ遊窟着
10:23発−11:25ソーケエ新道分岐点通過−11:43登山口着=御神楽温
泉あすなろ荘=14:30豊栄着

飛び石連休最終日のこの日はもともとは静養日にしようと思っていた。しかし、天気
予報は晴れ、こんな天気にもったいないと思い結局山に出かけることにした。
前日仕事の最中から何処の山にしようかと悩んだが、新潟の山を紹介するガイドブッ
クなどによく載っていて前から気になっていた御前ケ遊窟に行くことにした。
ただ、御前ケ遊窟は単なる岩屋なのでその背後の尾根上にある井戸小屋山に足を伸ば
すことにした。

早朝豊栄の自宅を出て一般道経由で登山口のある上川村を目指した。
豊栄から津川や上川辺りに行くのなら高速も一般道も時間は変わりない。
津川のバイパスを過ぎ常滑川の橋を渡るとすぐに右に入る。そして、上川村役場前の
三叉路を左に曲り柴倉川沿いに進んでいった。御前ケ遊窟の登山口を示す道標はほと
んど無く枝分かれの道がある所では注意しなければならない。
林道終点手前にわらび園という公園があり、そこに御前ケ遊窟の案内地図があったの
で車を止めて確認した。御前ケ遊窟は多くのガイドに載ってはいるものの、2万5千
図には登山予定のシジミ沢のルートは載っておらず、ガイドブックを持って来なかっ
た為案内図の存在はありがたかった。
林道が大きく右にカーブする所に御前ケ遊窟登山口の標識が有りそれに導かれて土の
林道に入っていった。この林道入り口に駐車場があった。
すぐに林道終点になり終点は車を返せるだけのスペースがあるだけだった。何台か車
が止まったらパックで出なければならないだろう。それでもそんなに人は登らないだ
ろうと思い、そこに車を止めた。
登山者カードを記入して歩き出す。
日が短くなったとは言えあたりはすっかり明るくなった。天気は晴れ、気温もこの時
期にしては高めだ。
最初は鍬ケ沢左岸高台の水平道だったが歩き出すとすぐ登山道は鍬ケ沢に向かって下
り出し、対岸に渡った。沢は水量は多いが長靴で来ているのでじゃぶじゃぶ音を立て
ながら渡った。
対岸に渡ると再び高台に向かって登り始めた。
周辺は葉が落ちたぶなの林で所々杉の植林があった。ぶなの林は林床の薮が薄く落ち
葉が積もっていると何処が道だか分かり難い。
すぐに下山に利用する予定のソーケエ新道を右に分けた。このソーケエ新道は最奥の
部落棒目貫(ぼうめき)の住人で佐藤与一氏が作った道で、彼が話をするとき「オー
ソウケエ」と相槌を打ったと言うことからこの名がついたそうだ、その佐藤氏は昭和
48年に他界されたそうである。
この分岐点の所に御前ケ遊窟の登山の案内板がありそれに見入るが、この水平道は途
中から鍬ケ沢へ下ってシジミ沢出合までは沢の中を歩くように書かれている。
道の途中に「シジミ沢まで45分」の標識が有りその下に勢いのいい水が湧いてい
た。
ここが沢に下りる道の分岐点かと思い下ってみるが道はないようだ。そのまま、から
み道を進んでいく。
菅倉沢を渡り道が右に降りていくと鍬ケ沢に降りた。どうやらその地点がシジミ沢出
合いのようだ。案内図の沢を歩く部分は結局歩かずに出合いまで来たようだ。
出合いと言ってもシジミ沢は涸れ沢で何処から登ればいいか道標によって分かりはし
たものの道標が無ければとても分かり辛いだろう。
ここで小休止のあと、シジミ沢を登り始めた。
登り始めはゴーロ状の登りだ。その上を落ち葉と枯れ枝が埋めていて何処が道だか
はっきりしない。岩に赤ペンキで矢印はあるものの場所によってはその矢印が落ち葉
の陰になっている所もある。周囲の地形を見れば何てことないが、整備された登山道
しか歩いたことの無い人にとっては不安になるだろう。
やがて沢が開け大きなスラブが目の前に広がった。ルートには鎖やロープが所々張ら
れていた。スパイク長靴のスパイクが岩の窪みを捕らえて滑らない、登山靴ではきっ
と歩きにくいだろう。
まるでガラス窓についたハエのようにスラブを登っていく。
スラブの上には遊窟が見え始めている。そして、その上の素晴らしい岩峰。
夢中で登っているうちにどんどん高度を稼いで行く。
スラブ上部に近ずくと進行右手の潅木薮に道は入っていった。そして、スラブ上部を
トラバースして御前ケ遊窟に着いた。遊窟とは本来岩穴を示す岫(ゆう)に遊の字を
あてて同意語の窟を付けたのだそうだ。
岩穴は二つあり左の岩穴に入って休むことにした。
遊窟の中は広く奥に小さい仏像が祭られてあった。
遊窟の中に入っても景色は見えない、こんな洞窟の中にいつまでもいても仕方が無
い。すぐに遊窟の上の岩峰に向かって歩き始めた。
このルートがよく分からなかった。ペンキなどのマークが無い、適当に進行左に伸び
る尾根に向かってトラバース気味に登っていった。この辺りはよく見ながらルートを
判断しなければならない。一歩間違えば数百メートル転げ落ちる。
ヒメコマツの生える尾根ははっきりした道があり岩峰に向かった。
岩峰の取付きは分かり難かったが、裏側に回り込むと岩の割れ目に松が生えていてそ
こに赤テープがありそこから登ると登りやすかった。
岩峰の山頂はなかなかの展望だ。雪をかぶった飯豊山が見える。その手前に兎ケ倉
山(うさんくらやま)、土埋山(つちうずみやま)なども見えていたが、会津方面は
県境の山の稜線の方が高いので何も見えなかった。
遠くの景色を眺めるのはいいが、眼下は目も眩むような絶壁だ。下はとても見ること
が出来ない。
展望を楽しんだ後は井戸小屋山に向かった。
井戸小屋山へは先程登ってきた道を少し戻った所に明瞭な道が伸びていた。
この山はガイドなどには紹介されていないので藪こぎを覚悟したが、意に反してしっ
かりした道がついていた。
細い尾根で所々岩稜があったが特に危険な場所はない。
井戸小屋山最後の登りにはロープまで張ってあった。
そのロープの急登が終わると少しでヒメコマツに囲まれた井戸小屋山山頂に着いた。
山頂には頭の丸い主三角点が設置してあった。展望は薮に囲まれてあまりよく見えな
いが、雪をかぶった飯豊山の方向だけは木に邪魔されずに見ることが出来た。
道はまだ先に伸びていた。おそらく滝首(たきがしら)からの登山ルートだろう。
持ってきたビールで一人乾杯した。帰りの岩場も気になるが、ビール一本くらいど
うって事ないだろう。
下山は登ってきたルートを御前ケ遊窟まで戻り、尾根上のソーケエ新道を下ることに
した。
ソーケエ新道へは遊窟右手の薮を鎖や赤ペンキに導かれながら登っていった。ここで
初めてソーケエ新道を登ってきた初老の夫婦にあった。それまでは誰にも会わなかっ
た。
そして、シジミ沢のスラブの方を見ると二人の人が岩につかまって動けなくなってい
るのが見えた。
最初は岩登りの練習でもしているのかと思ったがそうではないようだ。どうやらスラ
ブの中央を登ってきたようだが上の方に来てだんだん急になってきたので動けないよ
うだ。
声をかけ、左岸の薮に入るように指示した。そうすると「ガイドにはこのコースが書
いて有った。」と返事があった。一体どのガイドを見ているのかとも思ったが、現場
でルートをしっかり見て欲しいものだ。
そういうやり取りをしているうちに一人がすたすたと岩を登ってその上の立てる所に
着きロープを取り出し始めた。もう一人は動けないものの、取りあえずはちゃんと装
備を持ってきているようなので心配だったが私は歩き始めた。もし何かが有ったら
さっきの初老の夫婦が救助を要請するだろう。
ただし、下りながら気になって仕方が無かった。
ソーケエ新道はヒメコマツの生えた尾根道で所々岩場がある、しかし、岩場にはしっ
かりと鎖がついていて心配する所はない。正面に飯豊山を見ながら下る道だ。
尾根を下りきりタツミ沢を徒渉する所は道が分かりにくかった。沢に降りて見渡して
も道らしいものが見えない、沢を下ろうとしたらすぐ下は滝で鍬ケ沢には降りられな
い、適当に対岸に登ってみたら、道はあった。よく見ると黄色いペンキで道を示して
いたが、これでは分かりにくい。持っていたオレンジ布を徒渉地点に付けて後から来
る人の目印とした。間違って沢を下ったら滝だ。
それからまもなく鍬ケ沢に降りた。大きい看板があり「帰路」と書かれてある。看板
に従いしばらくは沢の中を歩いた。そして、右岸を登ってシジミ沢に続く道に合流し
た。
あとは往路を戻り昼前に車に戻ってきた。
帰りに御神楽温泉あすなろ荘で汗を流しによったが、天気のいい休日のお昼と言うこ
とも有って沢山の人で賑わっていた。
御前ケ遊窟は多くのガイドに紹介されているが、慣れない人の単独での登山は危険が
多いと思った。

シジミ沢のスラブの途中から御前ケ遊窟を見上げる
中央の岩峰の下に見える洞窟が御前ケ遊窟

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