2001年記
1979年7月26日〜8月8日、単独
吉田明弘16歳の夏でした。
高校の頃は山よりもサイクリングに熱中していた。 親に連れていってもらわねば行けない山よりも、自分の意志で移動できる自転車の方が楽しかった。 原付の免許も持っていたし、ミニバイクも持っていたけど、自らの体力が原動力になる自転車の方が魅力が 有った。 そして、高校二年生の夏休み、自転車で2週間かけて中部地区の峠を越えながら日本を横断した事が、心の 勲章になっている。 当時の記録も既に喪失してしまったが、当時のことを回想してみたい。 あれからもう22年も過ぎ、私自身も世の中も大きく変った。 <第1日目> 新潟〜長岡〜十日町〜飯山〜湯田中 高校2年の夏休みに入ってまもなく、当時新潟市の中心部に有った自宅を夜明け前に出発した。 国道8号線を南下、大型トラックが脇を通り抜ける。蛙の鳴き声が響き渡る。 険しい峠道を越えながらの輪行となるので荷物はフロントバッグとサドルバッグに入るだけの量しかない。 着替えは3着、途中で洗ったら着乾しの予定だ。泊りはユースホステル主体の予定だが、途中で野宿のこと も考えてシュラフカバーは荷物の中に入っていた。 長岡で17号線に入り、小千谷で117号線に入った。 117号に入ると道路のアップダウンが始まり、きつくなってきた。 十日町で所持金のほとんどを郵便局に預けた。これは安全性のためと、行く先々でお金を下ろせば通帳にそ の郵便局の名前と日付が入るので、旅の記念になるという考えからだ。 また、国鉄の駅などで休んだときはその駅の入場券を買うことにしていた。これも記念のためだ。 アップダウンは進むにつれて激しくなり、長野県に入ったら道幅が狭くなった。 初日は峠が無いので一番長い距離を走る予定なのだが、体力が予想以上に消耗した。 それでも、予定通り湯田中までたどり着いた。 湯田中温泉駅で泊まる予定だったので、駅員に一言断っておこうと声をかけたら、こんな所で寝ては困ると いわれた。 仕方なく、橋の下で寝ようとしたが、寝心地が悪い。 夜になって駅の前のベンチでシュラフカバーに入って寝た。 しかし、深夜までストリップ劇場の宣伝カーが徘徊していてうるさくて眠れなかった。 <第2日> 湯田中〜丸池〜渋峠〜白根山〜草津 よく眠れないまま朝を迎えた。 この日は標高2172mの渋峠を越えて草津までの行程である。 標高差約1600m、渋峠は峠を攻めるサイクリストにとっては目標のひとつになる峠だ。 志賀草津高原ルートを登って行く。猿の群れか道路上にたむろしていた。 睡眠不足のため体調がよくない。休憩を頻繁に取っていた。 観光バスが脇を通り過ぎて行く、中からがんばれの声援がかかる。 丸池、木戸池などで小休止。 渋峠で群馬県側の景色が見えたときは一つの目標を達成した達成感でいっぱいになった。 白根山で自転車をとめて御釜を見に登ってみた。白い山肌に乳白色の水がきれいだった。 草津までの途中、渋峠を目指すサイクリストに何人もすれ違った。やはりここは峠を攻めるサイクリストの メッカなのだ。 この日は草津のユースホステル(以下YHと表記)に泊まった。 <第3日> 草津〜長野原〜嬬恋〜鬼押出し〜峰の茶屋〜中軽井沢〜八千穂 この日は朝から雨が降っていた。雨具は上半身だけのヤッケだ。短パンなので下半身はぬれても平気だ。 長野原までは下り主体だ、自転車は下りは快適なのは言うまでも無い。 長野原から嬬恋に行き、鬼押し出しハイウェイに入った。 しかし、自転車通行止めの標識があった。今更ルートを変更できない。 料金所に頼み込んで通過した。 鬼押し出しを見学しようと思っていたが、余計な時間と体力を使いたくないと思いそのまま通過した。 峰の茶屋がこの道の最高点だ。地図には峠の名前は無い。 中軽井沢まで下ると雨がやんだ。あたりは観光客でいっぱいだ。 八千穂駅で泊まる予定だったが、有人駅より無人駅のほうが眠りやすいと思い、隣の高岩駅で泊まった。 駅は地域の人がきれいにしていて、ベンチには布団が敷かれていた。駅の割にはとても快適な一夜だった。 <第4日> 八千穂〜麦草峠〜下諏訪 この日もまた2000m級の峠にチャレンジだ。北八ヶ岳にかかる麦草峠だ。標高は2120m、標高差は 1400mある。 天気は曇り空だったが、高度を上げるにつれてガスの中に入っていった。そして、冷たい雨が降り始めた。 半袖、短パンにヤッケしか着れる物が無い、さすがに体が冷える。 峠に着くと麦草ヒュッテに入って休憩した。食堂があり暖かいものを食べた記憶がある。 周囲は観光客より登山者の方が多かった。 下りは一気に下った。下るにつれて天候は回復し、八ヶ岳の姿も見え始めた。 下る途中で道に迷ったが、昼過ぎには下諏訪の町に着いた。 宿泊予定のスワコYHのチェックインは午後3時、それまで諏訪湖の湖畔で湖面を眺めていた。 とにかく時間が余っても余分な体力は使えない。 スワコYHの夜は楽しいミーティングもあり、楽しい一夜だった。 <第5日> 下諏訪〜駒ヶ根〜飯田〜阿南 天竜川沿いを南下し、佐久間まで走る予定でYHを出た。 しかし、飯田を過ぎるとアップダウンが激しくなり、体力の消耗が激しくった。 その上、飯田から先の天竜川沿いの道は県境付近で通行止めとのこと、新野峠を越えなければならなくなり、 その事を考えると気力が萎えてきた。 炎天下でアスファルトの照り返しが厳しい。 朝方佐久間YHに予約の電話をしていたが、阿南に着いたとき前進をあきらめYHにキャンセルの電話を入 れた。 駅で泊まろうにも駅は国道から離れて天竜川沿いにある。翌日の登り返しがきつい、国道近くで宿を探した。 見るとスポーツ施設の横に宿舎がある。「やまびこ荘」と看板が出ていた。そこなら安そうだ。 訪ねてみると合宿しか泊めないとの事、仕方なく外に出て自転車にまたがり歩きかけると、 「ちょっと待って、自転車なの?」とそこの管理人の女性が呼び止めた。 「特別泊めてあげる。」 周囲に旅館は無く、自転車での移動は大変だということで特別に泊めてもらった。 ただし、食事は無し、近くの食堂で食事をすることになった。 その晩は管理人の女性相手に自転車の話しをたっぷり聞かせてあげた。 <第6日> 阿南〜新野峠〜佐久間〜天竜〜浜松〜新居(浜名湖YH) この日は前日の遅れを取り戻さねばならない、浜名湖までのロングランだ。 早朝宿を出て、新野の八百屋でパンとトマトを買って朝食にした。 その八百屋の女性が、戦前満州にいたらしく、私を相手に満州の話しを聞かせた。 話しが好きなようだ。 新野峠は山また山の中という感じの峠だ。ここから愛知県に一旦入る。そして、佐久間経由で静岡県に入った。 天竜川沿いの道を南下したが、向かい風のため速度が上がらない。 宿泊予定の浜名湖YHに着いたときは、もう夕食の時間になっていた。 <第7日> 新居〜伊良湖〜鳥羽〜伊勢〜松阪 太平洋を左手に見ながら渥美半島を縦断していた。 太平洋はやっぱり日本海より静かなのだろうか。 伊良湖からフェリーに乗り、鳥羽に渡った。 観光地が多いところではあるが、とにかく余計な時間と体力は使わない。寄り道をせず、まっすぐ宿泊予定の 松阪に向かった。 行程中、一番新潟から遠い土地に来た。 よく来たものだと感じた。 この晩もYHに泊まった。 <第8日> 松阪〜名古屋〜犬山 松阪YH出て国道1号線を進む、さすがに交通量が多い。 飛び出してきたスクーターに接触して転倒してしまった。 女性の運転のスクーターだ。スクーターのステップに足が引っかかって少し引きずられたが、かすり傷で大 した事はなかった。 しかし、自転車のスポークが曲がってしまった。 女性は心配していたが、怪我が軽いので安心して、幾ばくかの現金をくれた。 自転車はスポークを締めなおして何とかしようとしたが、リムが大きくゆがんだ形で走ることになってしま った。 桑名で自転車屋によって直してもらったが、少々のゆがみは取れなかった。 名古屋市を通過するときは自転車は車道を通れない。 歩道を走るしかなかった。歩行者をよけながら走った。 そんな形で大都市を通りぬけ、犬山のYHで泊まった。 <第9日> 犬山〜下呂〜久々野 犬山を出て、木曽川の支流の飛騨川沿いの道を進んだ。 この飛騨川がすばらしい眺めだった。美しい流れがしばらく続く。 いつものように出発してからしばらくして宿泊予定のYHに予約の電話を入れた。 高山YHに泊まる予定だったが、この日はもう満員との事だった。 久々に駅で寝るかと考えていたが、駅は最終列車が行くまで眠れない。 久々野の町に着いたとき、郵便局でお金を下ろして、そこの局長に安い宿は無いかとたずねてみた。 局長は快くその場で電話して舟山館という宿を紹介してくれた。 小さな旅館だったが、宿のおかみはやさしい人だった。 <第10日> 久々野〜野麦峠〜松本〜浅間温泉 朝宿のおかみが寝坊してしまい、朝食におにぎりを頼んでいたのに作れなかった。その代わりに、トマトと きゅうりをもらった。 朝食はどこかのドライブインで食べるしかないと、あきらめて出かけた。 まだ、この頃はコンビニなど無い時代である。 野麦峠の方に進むとさすがにドライブインなどはない。 高根に着けば朝から開いている食堂くらいあるだろうと思っていたが、高根に着いても営業している食堂な ど無かった。 仕方なく、宿でもらったトマトときゅうりを食べた。食料はもう何も持っていない。 野麦峠の登りが始まった。道路は未舗装でおまけに雨が降り出した。 腹も減っている。標高差は1000mある。 昼前に野麦峠の御助け茶屋に入った。 何とか空腹が満たされた。 期待していた乗鞍の眺めは見えなかった。 長野県に入り、道も舗装道路になった。 この晩は松本の浅間温泉YHに泊まった。 サイクリストが沢山泊まっていた。 <第11日> 浅間温泉〜大町〜白馬〜小谷温泉 安曇野を北上した。 北アルプスの眺めが良い。 昨晩同泊だったサイクリストたちと一緒に宿を出て、それぞれの目的地への分岐点で別れながら走った。 白馬駅前から白馬岳が見えた。すばらしい景色だ。 この晩は事前から予約していた小谷温泉の宿に泊まった。熱泉荘という宿だ。 翌日は走行距離が短いので温泉でリラックスできた。 <第12日> 小谷温泉〜乙見山峠〜池の平 ゆっくり朝食を摂ってから出かけた。 行程中一番走行距離の短い日だ。 しかし、乙見山峠という峠を越えなければならない。 道は未舗装で車の通りも少ない。険しい林道だった。 峠から深田久弥の「日本百名山」の雨飾山の項に、乙見山峠からの雨飾山の景色が素晴らしいと書かれて あったことが思い出され、見てみたが、雨飾山は見えなかった。 今考えると雲に隠れていたのだろうか。 峠に地蔵でもありそうな気がしたので、トンネルの脇から藪をこいで峠に登って見たが、何もなかった。 笹ヶ峰まで下ると観光客が沢山いた。 池の平でYHに宿をとった。 いもり池越しの妙高山は素晴らしく、スケッチをしている人が多くいた。 <第13日> 池の平〜燕温泉〜新井〜柿崎〜鯨波 池の平から一旦赤倉スキー場内の道を関見峠まで登り、そのまま燕温泉まで登った。 そこから関山まで下って18号に出た。 新井から柿崎に抜ける県道に入った。 柿崎付近で日本海沿いに出た。 日本海を見るということは、日本横断を往復したことになる。 鯨波のYHで泊まった。 翌日はいよいよ帰ることになる。 このまま走りつづけていたかった。 <第14日> 鯨波〜分水〜巻〜新潟 海岸沿いのほうが景色は良いのだが、アップダウンがあることを知っている。 アップダウンを避けるため、国道116号を走った。 自宅に帰れると思うと速度は上がるが、帰りたくないという気持ちもある。 でも、昼過ぎには自宅に着いていた。 自宅に着くと、また自転車でどこかに出かけたくなった。 この輪行で走った距離は約1400km、一日平均100kmだ。 標高2000m以上の峠は2個所、1000m以上は2000級を抜けて5個所。 しかし、2年半後に東京の大学に進学し、当地の下宿で思い出の自転車は盗まれてしまった。 それ以来、サイクリングはしていない。
浅間温泉YHで、右から2番目(自転車のハンドルを握っている)が私です。
この時、一日目で自分のカメラが故障して、旅先で出会った人から送られてきた写真しかありませんでした。