越後の山

                                                                                    2002年6月15日記

 「日本百名山」の後記に
「日本は山国である。どこへ行っても山の見えない所はない。市や町や村を見おろす形のいい山が立っていて、そこの学校の校歌に必ず詠み込まれるといった風である。」
と書かれている。
 私の住む新潟市からも多くの山が見える。朝日連峰、飯豊連峰、二王子岳、五頭山、菅名岳、白山、粟ケ岳、守門岳など。でも、登山に関心のない市民までもが親しんでいる山は、角田山と弥彦山、そして、沖に浮かぶ佐渡であろう。
 あれだけ雄大に見える飯豊連峰でさえ、山に興味のない市民に聞いても飯豊山と答えられる人は少ない。しかし、弥彦山や角田山を指して「あの山は何ていう山ですか」と聞くと、間違いなく山名を答えられるはずだ。
 弥彦山と角田山は越後平野と日本海を隔てる位置に並んで聳えているので、周りに高い山はなく、越後平野のどこに立っても見ることが出来る。新潟市民だけでなく、越後平野に住んでいる人のふるさとの山の風景として弥彦山や角田山をあげる人は多いことだろう。
 越後の山々の中でこのように麓に暮らす人々の心の風景になっている山はこの他に、守門岳、八海山、米山、妙高山などが頭に浮かぶ。


 我々登山を愛する者は山域を表す言葉として「越後」という言葉を良く使う。それは、東北の山でも関東の山でも中部の山でもない、越後の山だという分類の仕方だ。
 越後とは新潟県のうち佐渡を除く部分を指す。それは旧来からの地域の呼称で、信濃や上野(こおずけ)、武蔵などと同じ使い方のはずだ。しかし、山やの間で使う越後という呼称にはそのような古めかしい感じはない。
 長野県のことをよく「信州」と呼ぶ、これも旧来からの地域の呼称であるが、同じような呼び方で、群馬県を上州、山口県を長州と呼ばれているが、此方の方は古めかしい感じがするのに対して、信州という言葉には古い感じはしない。
 これはおそらく、長野県民が風光明媚な故郷を愛して信州という呼称を親しみをこめて使っているからに違いない。
 越後の山という呼称も我々の先輩岳人が多雪の影響を色濃く受けた故郷の山々を愛し、新潟県というよりも「越後」という呼称が使うようになったと思う。その結果、現代でも山に関する限り越後という呼称は古めかしい感じはしなくなったのだ。
 

 先輩岳人が愛した越後の山。今後もずっと愛し続けて生きたいと思う。

 

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