ひとりごと、五剣谷岳


 新潟市から川内山塊を眺めると、中央部分に特徴のある平らな頂の山が見える。五剣谷(ごけんや)岳である。
 山登りを始める前は見事に平らな頂なので日本平山だと思っていた。それは、山登りを始めた年に日本平山に登って間違いだと分かった。
 昨年の秋だったか、新潟日報の夕刊のコラムにこの山のことが記載されていて、山に詳しくない記者が支局内の山に詳しい人に聞いたら、「あれは銀太郎山だ」と答えたという。テーブルの形をした山と書いてあったので、五剣谷岳に違いない。
 同じ川内山塊でも粟ケ岳や白山は山に登らない人でも知っているが、五剣谷岳などは登山を趣味とする人でも知らない人が多いだろう。
 しかし、特徴ある山容と個性的な名前から、私は登山開始の年から登ってみたいと思っていた。そして、藤島玄著「越後の山旅」に、「訪れる人にとっては久恋の五剣谷岳であろう」という言葉があり、ますますこの山に惹かれてしまった。
 そして、まだ登山を始めて1年に満たない98年の5月、山岳会に入る前に最初のアタックをした。

 ゴールデンウィークだった。
 山行当日に風邪をひいて高熱で寝ていた。連休はまだあるので、出発を翌日に変更して、翌朝起きたら体温を測って平熱なら出かけることにした。
 そして、翌日体温は平熱だったので多少具合は悪いが出発した。
 釜ノ鍔からグシノ峰経由で木六山に登り、七郎平に幕営して、翌日銀次郎、銀太郎を経由して五剣谷岳に登り、その日の内に下山する計画を立てた。この頃まだ山仲間がいず、単独行だった。
 昼前には七郎平の幕営地に着いた。木六山を過ぎてから誰にも会わなかった。風邪を引いているので体調はよくない。しかし、その日のうちに五剣谷岳を往復して、翌日ゆっくり下山しようと思った。
 テントを張って最小限の荷物を持って歩き出した。
 銀次郎山までは快調だったが、そこから先の下りで膝に激痛が走った。当時はまだ山に体がなれておらず、下山の時に膝が痛くなることがしばしばあった。
 その時は、風邪で体調が悪いことも重なって膝が痛くなったのだろう。
 せめて銀太郎までも行きたいと思ったが、人の入らない山域で歩けなくなっても誰も助けてはくれない。七郎平に戻って一晩様子を見ようと思い、テントを張ってある七郎平に戻った。
 七郎平には1パーティー休んでいた。日帰りのパーティーだった。私の歩く姿をみて心配していたが、薬もあるしテントで一晩明かしてからゆっくり降りると伝えた。
 その晩は独りで足をさすりながら就寝した。5月上旬だというのに気温は高く、蚋が多く飛んでいて、やたら体中を刺されてしまった。
 翌朝、足はまだ痛い。五剣谷岳はあきらめてゆっくりした歩調で下山した。

 この山行の翌月豊栄山岳会に入会した。6月の月例山行が銀太郎山だったので、五剣谷岳まで足を伸ばせるかと期待したが、ヒルのいる時期なので中止になってしまった。
 担当リーダーにお願いして11月に再度山行の計画を立ててもらった。五剣谷岳まで行けなくても、銀太郎まで行きたかった。しかし、山行前日いきなりの雪で木六山までも登ることができず、結局翌年にお預けとなってしまった。
 この時、悪場峠から水無平へ抜ける近道があることを知った。悪場峠から入れば、五剣谷岳の日帰りも可能ではないかと思うようになった。

 翌年の4月中旬、会のメンバーが単独で五剣谷岳に日帰りで行ったと聞いた。
 私も4月下旬に行くつもりだったので、その報告を聞いて日帰りで行ける自信がついた。
 膝の激痛で撤退してから1年近い月日が流れていた、ゴールデンウィークの初日。悪場峠から歩き出した。
 日帰り装備で荷は軽い。快調に歩いていった。雪は前年よりも多く、前年幕営した七郎平は雪で覆われていた。
 空は曇っていたが、視界はいい。前年撤退した銀次郎の下りを過ぎ、初めての道に足を踏み入れて行った。
 銀太郎で登山道は終わっていた。稜線の藪をこいで進んだが、稜線右手に踏みあとがあり、それを辿っていった。残雪の量も増えてきて、短い間隔で赤布を付けた。
 五剣谷岳の登りは雪の上の歩きになった。尾根の右側に大量の残雪が残っていた。山頂直下で藪に突っ込んで山頂を目指したが、杉の藪で突破はできず、そのまま雪の斜面を登っていって、稜線近くで藪の薄いところを見計らって稜線に出た。
 そして、短い藪こぎでようやく久恋の五剣谷岳の山頂に達することができた。山頂からはそれまで見えていなかった守門が見え、すばらしい展望を味わうことができた。
 しかし、昼食を摂っている間に雪が降り始めた。こんな時期に雪が降るなんて想像していなかったので、少々あわてた。食事もそこそこに下山を開始した。トレースが消えると困ると思ったからである。
 案の定、トレースは消えかかっていたが、短い間隔で赤布を付けていたため、安心して帰る事ができた。
 下山といえども銀太郎、銀次郎、木六と大きなアップダウンが続き、体力の消耗は激しかった。行動食も底をついた。11時間行程は今まで経験がなく、行動食は普通の日帰り山行程度しか持って来ていなかったのだ。
 最後は空腹とも戦っていた。
 やっとの思いで悪場峠まで帰ってきた。下山後体重を量ったら5kg減っていた。

 翌年4月、会の山行で再び五剣谷岳を訪れた。雪の上の山頂だった。この時もすばらしい展望が我々を迎えてくれた。
 私の日帰りの五剣谷岳の記録をホームページに載せてから、私の記録を参考に日帰りで五剣谷岳を目指す人が増えたようだ。
 登った山にはそれぞれ思い出がるが、一度撤退して再挑戦して苦労して訪れた山の思い出は深い。
 私にとっては五剣谷岳がそんな山なのである。

五剣谷岳の三角点 銀太郎から見た五剣谷岳


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