ひとりごと、飯豊山


 1997年6月、友人の誘いに乗って二王子に登った。ジーパンにTシャツ、バスケットシューズでの登山だった。
 初めての登山にもかかわらず、テントを担ぎ上げ、酒と焼肉をどっさり背負い、山頂にはやっとの思いでたどり着いた。
 しかし、そこから眺める展望は今まで忘れかけていた感動に火をつけてしまった。
 目の前に広がる雄大な飯豊連峰、振り返ると越後平野を見下ろし、日本海の向こうに佐渡が見える。山が好きだった少年の頃、山頂で味わった感動をが甦った。
 翌週再び飯豊連峰の展望が見たくて焼峰山に登った。単純な私はそこで今後毎週登山をすることを決心した。
 前年倒産した父と経営してきた会社の借金の返済が進み、ちょうどその頃銀行預金の差し押さえが解かれた。その預金を使って山の道具をそろえた。
 
 焼峰の翌々週、二王子の山頂や焼峰の山頂から眺めた飯豊山に足を踏み入れた。飯豊の入門コースである足ノ松尾根からえぶり差岳のコースだ。
 シャツ、パンツ、ズボン、靴に靴下、ザックにコッヘルにテント。全てが新品でこの日が初お目見えだ。
 重い荷物でばてながらもえぶり差岳に着いた。初めての登山から1月経たないうちに単独での泊まりの山行になった。
 えぶり差岳付近はニッコウキスゲなどの高山植物が咲き乱れ、そこから眺める飯豊主脈の山々はスケールがでかかった。
 テントを張って寝てみたが風が吹いて寝付けず(今ではどうってことない風だが)夜中に小屋に入って寝た。

 翌月の盆休みにも飯豊に入った。
 石転び雪渓から北股岳に登り梅花皮小屋前で幕営し、翌日は御西岳から大日岳をピストンし飯豊本山に登って一ノ王子で幕営、翌日にダイグラ尾根を下山した。
 まだこの頃は水を飲むとばてるという迷信を信じており、この山行で4kgくらい体重が減った。もちろん今では行動中に好きなだけ水を飲んでいる。
 9月にはオオインの尾根から北股岳を往復した。
 この時は9月下旬にもかかわらず山頂付近で雪が降り、濃いガスと雪と強風の中、梅花皮小屋にたどり着いた時は、ほっとするというより助かったという気分になった。ただ、夏山しか知らない私は防寒着が十分でなく小屋の中では寒くて震えていた。
 麓の秘湯、湯の平温泉も気に入り、何度か訪れ泊った。
 雨の日に泊まった時は、風呂へ行くのに服を濡らすわけに行かず、小屋からパンツ一丁でサンダルを履いて蟹湯まで走っていき、雨の中の露天風呂を楽しんだ。フリチンとも考えたが、小屋には同宿者はいるし、山中といえどもフリチンで走るのははばかられた。
 もうすっかり飯豊山のとりこになったが、9月の北股岳での降雪を経験してから、この年の飯豊山行きは止め、二王子から眺める週が続いた。

 翌年は奥胎内の林道のゲートが開くのが待ち遠しかった。ゲートが開いた週に足の松尾根を登り。頼母木山を往復した。
 8月盆休みには、川入から入り、三国岳、飯豊本山、北股岳と縦走し足の松尾根を下山した。この年の夏は梅雨が明けず、新潟県は各地で水害が起きていた。私が本山小屋に泊った日も、上越地方で川が氾濫する被害が起きており、飯豊山中もものすごい暴風雨だった。本山小屋では多くの登山者が停滞を余儀なくされ、私も一日停滞した。3泊4日の予定で縦走するつもりだったが、大日岳、えぶり差岳は予定からはずした。
 この時、名物山小屋管理人の小椋氏が本山小屋にいて、すっかり気に入られてしまい。外は大雨なのに、酒と肴をどっさり食わせてもらって標高2100mの暴風雨の山中でしたたかに酔ってしまった。
 
 とにかく、飯豊山の思い出は沢山ある。そして、行く度に新たな感動や発見を与えてくれる。
 現在も夏は必ず飯豊に行く。飯豊の計画を中心に私の夏山プランを立てているようなものだ。
 今年も残雪期、夏山、沢登り、厳冬期まで飯豊のプランが頭の中にある。そしてまた、飯豊の展望を見るために二王子通いは続いているのだ。
 
 
 

97年夏、大日岳にて

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