感謝の気持ちと分相応の山
山は本来そこに住む動植物たちのものであり、そこにわがままな人間が分け入るのが登山である。
住民でもない人間が本来の住民である山の動植物の間に入っていくのであるから、それを許してくれる山に対して感謝しなければならない。(ここでいう山とは山の自然の秩序までも含んでいる。)
そして、野性を忘れた人間が安全に歩けるようにと登山道がある。この登山道は多くの献身的な労力によって切り開かれ、また維持するためにも大変な労力が注ぎ込まれている。
登山道を歩く時はこの事を肝に命じて歩かなければならない。
さらに、山に送り出してくれた家族の理解。職場や周囲の人々。健康な体。多くの人のおかげと環境的な条件が満たされて山に登れる自分がある。その事を考えただけで、心が感謝の気持ちでいっぱいになる。
感謝の気持ちを持って山に登れば、道端の花や小鳥のさえずり、素晴らしい景色、おいしい空気や水、全てに対して感動することができるだろう。
ただし、自らの分をわきまえなければならない。分を越えた山に登れば山は苦しいだけの存在になっていく。
同じ山でも夏と冬では全く様子が違う。また、訓練した人としていない人では差が出てくるし、若い時に登れても年をとれば登れない山も出てくる。
自らの分をわきまえることだ。
分相応の山に登れば、山は心を癒してくれ、またそこに感謝の気持ちが湧き上がってくる。