川内山塊の魅力


2002年4月9日記

 阿賀野川の支流早出川の上流を取り囲む山塊を川内山塊という。
 今は村松町に合併されたが、以前の川内村の村域に属するのでこの名称が使われているのだろう。山域を五十嵐川上流域にまで広げて、川内下田山塊と呼ぶ場合もある。
 最高峰は粟ケ岳、しかし、粟ケ岳は前衛にある為、盟主と呼ばれている山は標高第二位の矢筈岳である。
 粟ケ岳の山頂に立つと、川内山塊を一望することができる。
 そこから見ると山並みは横に幾重にも連なっていて、谷は深く切れ込み、山肌に雪で磨かれたスラブを抱え、まるで荒海の波が打ち寄せてくるような姿をしている。しかも、峰々はどれも個性的で、粟山頂に立つ私めがけて叫んでいるようだ。
 しかし、標高は1200mを越える山は3座、あとは1000m前後の山の連なりでしかない。2000mの山々を県境山脈に持つ越後の山の中では、当然目立つ存在ではない。まして、粟ケ岳、白山、菅名岳などの前衛の山に遮られて、核心部の山は里からは見えにくい。その為に、いまだに登山道のある山は少なく、これだけ里から近い位置にありながら原始性を保たれてきた。
 また、この山塊に近づこうとするならば、激流に阻まれ、藪にてこずり、その中を果敢に進もうとすると、アブとヒルが進入を食い止めようと必死に襲い掛かってくる。よほどの勇気と気力、体力が無ければ入ることのできない山々の集まりである。
 だが、その核心部の山に登ったものはすべて達成感で胸いっぱいになって帰って来るのだ。たかが標高1000m前後の山、山頂に立っても藪が邪魔して景色が見えないことも多い、お花畑があるわけでもない。だけど、みなそれぞれ「いい山だった」と言って帰って来る。
 岳人たちを魅了して止まないこの川内の山の秘密は何か、歩いてみた者にしか答えは分からないのである。


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