骨折治療
退院〜ギブスが取れるまで

2006年12月12日記

 10月30日(月)退院
 昼食後病棟の処置室に呼ばれる。
 シーネを取りギブスを装着した。ギブスは足の指先が出ているが、膝下までしっかり固められてしまった。
 その後、姉に迎えに来てもらって退院。
 久々の我が家だが、自宅兼仕事場なので、すぐに仕事を開始した。
 動き回るとすぐに足がむくみ、ギブスが圧迫して痛くなった。
 私の寝室は2階。片足で跳びながら2階に上がる。
 夜中に足がかゆくて目が覚めた。おまけに足の指先が青くなっている。心配になり病院に電話。救急外来で見てくれるとのことなので自分で運転して病院に行った。
 病院で見てもらったが、「これくらいは我慢してください」といわれてしまった。飲むかゆみ止めをもらって帰宅。
 つらいギブス生活、じっと我慢か・・・

 11月1日(水)
 医療保険の請求の為に用紙を持って病院に行った。

 11月2日(木)
 救助のお礼を言うために、県警航空隊に伺った。
 当日のクルーが居て、捜索していたときの状況を教えてくれた。
 当初湯沢のスラブを探していたらしい、ところが見つからず、確認してみると、笠倉沢の向かいということなので向かったら、私をすぐ見つけたらしい。私がストロボをたいて合図したのは分からなかったそうだ。
 当日の航空写真をプリントしていただいた。

 11月4日(土)
 阿賀町消防本部と津川警察に挨拶に伺った。担当者は留守だった。
 さすがに津川まで行くと足がむくんで痛くなった。

 11月8日(月)
 退院して1週間目、最初の通院日。
 ギブスをカットしてもらい自分の足を見る。見事に痩せている。
 足首を動かそうとしたら全く動かなかった。ちょっとショックを受ける。

 ギブスしている足は指先が出ていて寒いので、最初は巾着を掛けていたが、長靴のインナーブーツが丁度いいことがわかり、そちらに替えた。
 かゆいときは菜ばしを突っ込んでかいていた。

 11月13日(月)
 事故後初めて風呂に入った。
 医師からOKが出たのではないが、友人のアドバイスでギブスをしている足にビニール袋を掛けて入ってみた。少しギブスの端が濡れるが、大して気にならない。
 風呂に入るとさっぱりする。

 11月17日(金)
 医療保険が下りた。非常に助かる。

 11月22日(水)
 通院日。骨を固定していたピンを抜いた。
 麻酔掛けるわけでもなく、ペンチで引っこ抜いた。不思議と痛くなかった。
 ギブスはさらに2週間付けたままだ。ただ、ピンを抜いたらギブスの中でピンが擦れることがなくなり、その痛みからは解放された、
 右足の打撲がなかなか治らない、レントゲンとるが骨には異常なし。
 
 毎日営業などで外出していた。
 当初は2時間限りにしていたが、だんだんと時間を延ばしていった。
 車を運転していると足がむくんで痛くなるが、家にじっとしていても暗くなるばかりだ。

 12月6日(水)
 ギブスを取った。
 すぐに立てるかと思っていたが、立つことはできない。
 足底板という装具を作るために足型を取った。
 ギブスを取ると、ちょっとのことでも左足が痛くなる。気休めに巻いた包帯が圧迫しただけでも痛くなる。
 右足の打撲のところが痛むと先生に言うと、「ひび入っていたかもしれないな、左足がよくなると自然に治りますよ」とのこと。シップを処方してもらった。
 

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