かなわなかった骨髄移植日記

2006年1月7日

 (財)骨髄移植推進財団から封筒が届いた。早速開けてみると私の骨髄の型が患者の型と一致したのでドナー候補者に選ばれたとあった。
 思い返せば私が会社を退社した4年前、骨髄バンクに登録したのだ。毎日汗水流して働いても会社には認めてもらうことが出来ず。世の中のために役立ちたいという思いで仕事をしていたのに逆に世の中の穀つぶしになった自分が惨めで、せめて白血病で苦しんでいる人を救うことが出来れば、こんな気持ちもやわらげることが出来るだろうとドナー登録したのだった。
 その後、自営で商売をはじめ、一日たりとも仕事を休むことが出来ない境遇になった。でも、一年に一度来るドナーの意思確認の書類には、意思は変わりないと返事を出していた。もし、移植のために入院するとしても、仕事の遅れは取り返せるし、きっと移植のために入院したとしても、神様がうまく仕事をやりくりできるように運んでくださると思っていた。
 説明書を読むのもそこそこに、同居の両親に了解を求めて、同封の問診票に記入し、返信した。

 ちなみに私は臓器移植については倫理的に(?)の部分があり、登録していません。

2006年1月14日

 登録保留の連絡があった。潰瘍の治療中で薬を服用しているのが原因らしい。ドナー登録は1年間保留で、その後、自動継続となるらしい。
 この1週間夢を見ていた。
 どうせ助けるのなら、子供がいい。私の骨髄を分けた子供がこの世の中にいる。移植後、笑顔で生き続ける・・・・・
 頭の中にドラマが展開した。
 私自身初めての入院ということで、移植ついでに気持ちのリフレッシュを図りたかった。
 でも、実現できなかった。

 通知が来てわかったが、不安感など全くなく、私は人助けできることへの喜びが湧く人間だということがわかった。

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