ひとりごと、佐武流山


 この山の存在に気づいたのはいつの頃だっただろう。
 登山を始めた年の夏に苗場山に登った時、地図を見て佐武流山の存在を気づいたのか、藤島玄の「越後の山旅」を読んで気づいたのか、記憶が定かではない。当然山登りを始める前は佐武流山という名前は知らなかった。
 佐武流山は深田クラブ選の「日本二百名山」に選ばれている。その本に掲載されている時は、完全な藪山だったらしい。でも、「越後の山旅」の文書では登山道はある事になっている。道は切っても歩く人が少ないので自然に帰してしまうのだろうと思っていた。
 
 98年の9月、会の山行で白砂山に登った。歩いていく途中から、佐武流山が堂々とした山容で見えている。そして、この山行から帰った後、インターネットか新聞かで佐武流山に登山道をつける計画があることを知った。
 地元に問い合わせると、計画の内容をわざわざ郵送してくれた。私は翌年の登山道伐開作業に参加する約束をした。登山道整備は以前から興味を持っていたし、山塊最高峰の道の無い山に登山道を開くことにロマンを感じた。
 しかし、登山道が開かれる前に登りたいと思うようになった。
 
 その年の暮れ、翌年の行きたい山を会に提出する時、佐武流山と書いた。そしたら、99年6月に私がリーダーで計画が組まれていた。しかし、本来は5月に行きたかったのであるが、会の予定では動かせない予定もあり、6月にまわされたようだった。

 私は早い頃から地形図を睨み、計画を練っていた。実はまだパーティー登山のリーダーを勤めたことがなかったのだ。その最初の山が1泊でなくては行けない深い藪山という試練を与えられたのだ。
 6月の入梅前にいよいよ佐武流山に向かった。
 当初は途中まで開通した登山道を辿って行こうと考えていたが、長い林道歩きがあることを知り、白砂山経由に予定を変更した。私は林道歩きが嫌いなのだ。
 前夜登山口の野反湖に入り、翌朝早朝白砂山の登山道を進んだ。白砂山は人気の山で沢山の登山者が訪れていた。
 白砂山までは前年に訪れていたが、そこから先は未知の世界だ。期待していた残雪は水場に困らない程度にしかなく、猛烈なネマガリダケの藪こぎが始まった。踏み跡は最初のうちだけで、途中からは踏み跡すらなかった。 
 予定では赤樋山まで行ってそこで幕営して、翌朝早く佐武流山へアタックしようと考えていたが、大きなザックを担いでの藪こぎは思うように進まず、沖ノ西沢の頭で荷物をデポしここに幕営することにして、荷物を軽くして佐武流山を目指した。
 しかし、赤樋山まで来たとき、メンバーの疲労度を見るとアタックは無理だと思った。私自身体力はまだあったが、道のない山に独りで向かう勇気はなかった。残念だったが、ここで撤退した。
 猛烈な藪の上にそのままテントを張った。なたで切り開こうと思ったが、鉈の切り口でテントに穴を開けるといけないということで、ネマガリダケのクッションの上にそのままテントを張ったのだ。藪の中での幕営もなかなか良いものだった。
 
 その年の9月、登山道の整備作業に出かける前日、急に仕事が入り、参加の予定をキャンセルせざるを得なくなってしまった。非常に残念だった。

 翌年、仕事の負担が重くなってきたので、会の山行のリーダーなんか勤まらないと思い、希望の山の提出はしなかった。しかし、普段から佐武流山に再挑戦したいと言っていたので、会の方で再び私をリーダーにして計画が組まれていた。
 再びチャンスを与えられたが、会の山行の日程上、6月下旬に行くしかなかった。梅雨の最中である。でも、会から与えられたチャンスなのでこれを生かさねばならない。今度は前年の教訓から、秋山郷より入り、途中まで伐開された登山道を使って登ることにした。ただ心配なのは、この道は檜俣川の渡渉がある。集水面積の広い川なので、梅雨の最中に渡渉ができるかどうかが鍵であった。
 梅雨の最中ではあったが当日は大して雨にあたらなかった。長い林道も考えたほど苦にならなかった。渡渉も問題なく渉ることができた。
 県境稜線の残雪のある広いところで幕営した。その晩はほんんど眠ることができなかった。心配なのは天気である。雨の中の藪こぎは心配ないが、下山途中の渡渉地点で増水でもされたら帰るに帰れない。時折テントにあたる雨音にぴくびくして、そのまま朝を迎えた。
 ラジオなどの天気予報で、日本南岸にある梅雨前線が北上し始めたことを知り、夜明けともに歩き始めた。短い藪こぎで佐武流山の山頂に着いた。
 憧れの山の山頂であったが、藪の中で展望がきかず、おまけにガスもかかっていたので、あまり感動はなかった。でも、2年越しの憧れの山に立てたので、達成感だけはあった。
 でも、ゆっくりしてはいられない。雨で増水する前に檜俣川を渉らねばならないのだ。
 幸い渡渉は問題なくすることができた。
 しかし、下山後激しい雨が降り出した。早朝から行動していなければ、川のほとりで水が引くのを待っていただろう。リーダーとしての判断が間違っていなかったことを実感した。

 その年の9月、佐武流山に登山道が開通した。信濃毎日新聞には大きく報じられたようだが、新潟の新聞には全く報じられなかった。藪山の内に登ることができて良かったと思っている。
 

佐武流山山頂にて

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