山岳会と日本百名山

2003年1月18日記

 私の所属する山岳会は毎年1月に総会を行い、そこで年間の山行計画が承認される。山行計画は事前にリーダー会が招集され、そこで検討されて総会に諮られるという仕組みだ。
 私は昨年度リーダーに選任され、今回初めてこのリーダー会に出席した。
 直前に会長よりメールをいただき、そこに会長の山行に関する方針が書かれてあった。今はそのメールを削除してしまい無くなっているが、そこには、活動の中心は飯豊朝日連峰及び、新潟県下越地区の山にすること、そして、リーダーは適材適所に配置することとあったと思う。
 私は会議の席にそのメールをプリントしてもって行き、会議はその意向にそって進められようとした。
 結果は春、夏、冬の合宿山行や訓練山行は飯豊朝日を舞台に計画されたが、月例山行の半分くらいは県外のいわゆる「名山」と呼ばれる山になった。

 先日の例会の時新人が入会し、自己紹介を行った。新人は中年の女性である。彼女は日本百名山を80座登り、今年来年中に完登を目指しているという。
 ここ数年、山岳会の入会者は多い、しかし、大多数は中高年のおじさんおばさんたちである。こういう人たちの目的は、登山技術を身につけてより高度な山を目指すというより、健康のために登山を始めたけど、仲間が欲しいので山岳会の門をたたいたという者が多いはずだ。こういう人たちにハードな藪こぎ山行や沢登り岩登り、深い雪山の山行を叩き込もうとしてもついてこないだろう。
 私が入会した年は新人は私一人だった。私も仲間が欲しくて山岳会に入ったが、当時の山岳会はあまり訓練山行に力を入れていなかったため、技術を身につけたい私にとっては少々期待はずれのものだった。また会員も私から見れば高齢者ばかりで、話もなかなか合わなかった。
 ところが、翌年の春、会の山行で滑落事故を起こしてしまい、その後、訓練山行をやり直すことになった。新人は私一人である。急に私に周りの先輩達が技術や心構えを熱心に教え始めた。おかげで、登山技術は向上したと思う。また、新人2年目の身で当時藪山の佐武流山のリーダーを担当させてもらった。この山行も勉強になった。
 現代の登山愛好家の中心は中高年である。当会もその例に漏れずに中高年会員が中心だ、というより、若い会員がいない。
 そして、彼らの多くは若い頃から山に登っている人より、中高年になってから山登りを始めた人の方が多い。
 そして、登る山に目標を持とうとしたとき、日本百名山はいい目標になるのだ。また、話題になりやすいからそれらの山に目が行ってしまう。百名山完登を目指さなくても、どうしても何座登ったかという話は出てしまう。
 そういう現状の中、百名山の訪問を年間計画に入れないと活性化が図られないのではなかろうか。
 また、飯豊朝日を舞台にした合宿山行や越後の山々で行われる訓練山行でリーダーを勤められるのは会員数が多くなったとはいえ、限られたメンバーでしかない。多くのメンバーに山行のリーダーを経験してもらうには、整備された「名山」への訪問が妥当な線になってしまう。
 
 私自身は百名山には行きたいと思わない。「日本百名山」は書物としては好きで、好きな山の項は何度も読み直している。しかし、今の百名山の現状は人人人で埋め尽くされて、静かな山行が好きな私はそれだけでまいってしまう。
 どちらかというと、越後の藪山を地図を見ながら歩く山行が好きだ。だけど、自分のスタイルと山岳会の山行とは違っても仕方が無いと思う。
 とにかく、現代の登山は中高年が中心で、その中高年は越後の藪山より名山が好きで、その状況の中で活動する山岳会は名山を無視できないのだ。
 人口の多い大都市圏の山岳会なら会の個性を強烈に打ち出して、その個性にあった会員だけで活動することも出来ようが、一地方都市の山岳会は、八方美人の顔も持っていなければならないのかもしれない。
 会長の苦笑いが聞こえてきそうだ。

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