山岳信仰とアルピニズム


 このホームページのひとりごとの最初の項「なぜ山に登るのか、それは山への信仰心から?」の中でも述べたとおり、わが国は古来から山を信仰の対象としてきた。
 それは古代、生活の場であり、また、生活の恵みを与えてくれる山を守るために山に神がいるとして掟を定め、山を守ったことから始まった。
 よって、当初の信仰の対象となった山は生活の場から近い里山であった。
 ところがある日、信仰心の厚い勇敢な若者が現われ、遠くに仰ぎ見る山に登って神に触れようとして行動を起こした。それは現代では想像もできないほどの生命を賭けた勇敢な行動だったに違いない。
 地図やコンパスがあるわけでもない、靴やザックがあるわけでもない。食料は狩猟などによる現地調達。
 何度も何度も危険なめに遭い、失敗を繰り返した。しかし、くじけずようやく目指す山の頂に立った。
 彼が山頂に立ったときの感動は現代の我々には計り知れない感動だったに違いない。
 そして、かれはその感動は神からもたらもたらされたものだと信じ、里に帰ってから他の人々に信仰を勧めた。これが山岳信仰の流れであると考えている。
 もちろん、私自身綿密に調べたわけでなく、想像で書いているのであるが、古代開かれたとされる、富士山や立山、加賀白山、飯豊山など。中世から近世に開かれたとされる、男体山や槍ヶ岳など、開山当時は想像を絶する苦しい山行の末に開かれたことは容易に想像がつく。
 明治時代、未踏の山だと思っていた越中剣岳に陸地測量部の隊が登った時、山頂で古い錫杖の頭と槍の穂を発見した。我が国古代の信仰登山は我々の想像以上に険しい山にまで及んでいるのだ。
 それから時代は下って、信仰のためでも狩猟のためでもなく、山に登る為に山に登る時代になった。
 信仰の為に山を開く時代は終わったが、そんな中でも勇敢な若者は現われるのである。
 彼らは活躍の場を海外の高峰に求めた。ヒマラヤの8000メートル峰の登頂、7大陸の最高峰の制覇など。
 そして帰国後、その状況を各メディアのインタビューに答え、各地で講演をし、中には独自の山岳会を興したり、登山教室を開いて登山の啓蒙活動をする。
 古の時代の”勇敢な若者”のようである。
 しかし、かつての”勇敢な若者”は神に触れようとして山に登った。ところが、近代〜現代のアルピニストは山に登るために山に登る。これはかつての”勇敢な若者”より山そのものを信仰している事になり、純粋に山に取り憑かれている事になるのではないだろうか。


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