ひとりごと、守門岳


 長岡あたりから東を見ると、東山連山の後ろになだらかな裾野を持った山が見える。特に春頃は東山連山の雪が解け黒々している背後に、白い頂が輝いている。これが守門岳である。
 
 中学一年の夏、私はボーイスカウトのキャンプで守門の南麓(大原)を訪れていた。
 ボーイスカウトのキャンプは、キャンプ場ではやらない。自然の中で自らの力でキャンプ地に設営するのだ。水は沢の水、トイレは深い穴を掘ってフライシートで周りを囲む。石を並べたかまど、ガスや石油などを使わず、木を燃やして調理する。文明社会に漬かりきった少年が、知恵を絞って何もない山中での生活をするのだ。
 その大原でのキャンプの時は、私の班は最高学年の中学2年が全員不参加で、中学1年の私が班長を勤めた。しかし、わが班の参加者は私を含め3名しかいなかった。他班は5〜6名いる。我々は設営の時から作業が遅れがちだったのはいうまでもない。
 キャンプは5日間だったと思う。初日の晩から激しい雨が降り出した。テントの中はすぐに洪水になた。夜中に何度もテントの周りの溝を深く掘って、水がテントに入らないようにしようとするが、おいつかない。ほとんど一睡もできずに朝を迎えた。
 翌朝も雨はやまない、他の班は手分けして焚き木を濡らさないようにしていたので火は起きたようだが、我々は焚き木がぬれていて火を起こすことはできず、飯を炊けなかった。食パンをかじったり、ジャガイモを生のままかじったりしていた。
 守門岳に登る日があった。その日も朝から激しい雨が降っていた。その中を登っていった。当時の雨具はポンチョ。登山道は泥水が流れていた。
小烏帽子を越え、お花畑のところは雪渓になっていた。ガスで視界はほとんどきかなかった。雪渓のそばを通過する時、ピカッと光ってすぐ雷が落ちた。すぐ近くに落ちたのかもしれない。リーダーの指示ですぐに下山を開始した。この登山が初めての守門登山だった。山頂は踏めなかった。
 天気が回復したのは最終日になってからだった。

 その年の秋だったか、翌年の秋だったか。父と姉と妹とで守門に登った。栃堀から入った。今は舗装されている林道もほとんどが砂利道で、華奢な乗用車で保久礼まではとても入れず、途中で車を止めて歩き出した。
 この時の紅葉は素晴らしかった。今まで多くの紅葉の山を見てきたが、この時の守門の紅葉が最高だったと今でも思っている。
 保久礼から大岳に登り、青雲岳を経由して袴岳に至る、一般的なコースだった。ガスで視界がきかなかったが、青雲岳の草紅葉はまるで黄金のビロードの絨毯。木々の葉は鮮やかな赤や黄色。大感動だ。
 少年時代にこの山行も含めて、何度か守門に登った。

 そして、年月が流れて30を過ぎで久しぶりに登山を再開したあとも、守門には何度か登っている。厳冬期、春の残雪期、夏、秋。それぞれの季節にそれぞれの顔を持った守門がある。
 会越の山に登った時は、山頂から守門を探す。見る角度によって守門の姿は変わってくる。
 守門は越後を代表する名山に違いない。しかし、それ以上に私にとっては思い出の山、懐かしい山なのである。

ひとりごとの目次へ戻る


ホームへ戻る

inserted by FC2 system