充電期間


2002年5月9日記

 よく、大物アーチストが充電期間と称して長い休みに入ることがある。
 人間が充電するということはいったいどういうことなのだろうか?

 昨年9月末に勤めていた会社を退職して、先月末に自営業でスタートする決意をするまでの半年あまりは、私にとって良い充電期間であった。私にとっての充電とは、自己を取り戻すことを意味している。
 細かいことは述べないが、退職した会社に勤めていたときは、完全に自分らしさを見失っていたと思う。退職した当初、失業した暗さは心の中には微塵も無く、好きな山にどんどん行ける事で気分は明るかった。退職に伴うごたごたのために過労気味になり、その為か腰を痛めてしまったが、季節は秋、山は紅葉の季節だ。腰痛のため、ハードな山行は出来なかったが、低山でも行けば気分が晴れた。
 しかし、安易に考えていた就職が決まらず、わずかな退職金も借金の返済に回したので生活費が底を付き、失業給付金が出るまでの間、交通誘導のバイトをした。バイト自体はきつくて大変だったが、今まで知らない世界の仕事場にいることで、少なからず勉強になった。
 1月に入って、失業給付がもらえるようになり、バイトを止めた。就職活動は必死になってやっていたが、時間があるので結局山ばかり行っていた。ちょうど山スキーを始めたばかりで、登山靴に装着したスキーの感覚がつかむべく、スキーの練習ばかりしていた。
 2月初めに守門でスキー滑降中に転倒、その時に木に胸を打って肋骨にヒビが入ってしまった。仕方なく山は休み、家でビデオばかり見ている日々が続いた。
 2月下旬に、完治しないものの、痛みが和らいできたので山を再開した。今年は春の訪れが早く、2月下旬でもかなり雪がしまってきていたので、山スキーを楽しむにはいい季節になってきた。
 そして、3月4月は残雪の山や、雪割草の咲く山に足繁く通った。
 おかげで体が筋肉質になり、締まった体になった。
 しかし、就職は出来なかった。結局バイトも含めて25社応募し、交通誘導のバイト以外はことごとく断られた。
 だけど、自分らしさを取り戻した。会社組織の中で抑圧されながら働くよりも、自分には自由な境遇のほうが似合っているようだ。もちろん、相当がんばらねば食っていけなくなる。でも、安定した収入を得ながら心を失うよりも、不安定ながらも活き活きとした心を持てるほうが自分には似合っているようだ。
 実は就職しなくて、親や身内は喜んだ。サラリーマンが向かないと前々から思っていたようだった。
 自分らしさとは何かを、山に行きながら見つけたような気がする。


充電期間の山行記録

01年10月2日、護摩堂山


01年10月6日、有倉山

01年10月7日、苗場山

01年10月8日、飯士山

01年10月13日、高立山

01年10月16日、櫛形山脈

01年10月18日、白髭山

01年10月22日、米子沢〜巻機山

01年10月25日、角田山

01年10月27日、吉ケ平〜守門岳(途中撤退)

01年10月29日、俎倉山

01年11月1日、荒沢岳

01年11月4日、立烏帽子、葡萄鼻山

01年11月8日、角田山

01年11月19日、角田山

01年11月23日、二王子岳

01年12月2日、高坪山

01年12月9日、粟ケ岳

01年12月16日、焼峰山(途中撤退)

01年12月24日、守門岳(途中撤退)

02年1月1日〜3日、燕岳(途中撤退)

02年1月7日、宝珠山(途中撤退)

02年1月14日、五頭山

02年1月17日、諏訪峠

02年1月20日、大蔵山、菅名岳

02年1月24日、角田山

02年1月26日、俎倉山(途中撤退)

02年2月2日〜3日、守門岳

02年2月5日、粟ケ岳

02年2月21日、樋曽山、角田山

02年2月24日、五頭山

02年2月26日、マンダロク山(途中撤退)

02年3月1日、日本平山(途中撤退)

02年3月9日、刈羽黒姫山

02年3月13日、倉谷山

02年3月17日、粟ケ岳〜白山

02年3月20日、高知山〜二王子岳

02年3月23日、浅草岳

02年3月24日、守門岳

02年3月26日、角田山

02年3月28日、角田山

02年3月31日、高陽山

02年4月2日、不動堂山

02年4月6日、多宝山

02年4月7日、松平山

02年4月8日、月山(上川村)

02年4月13日〜14日、矢筈岳、駒形山、魚止山

02年4月21日、笠堀ダムより矢筈岳

02年4月24日、二王子岳、二本木山

02年4月27日、日本平山

02年5月3日〜5日、二王子岳〜赤津山〜門内岳


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